少女型ロボットだった女の子の話

ちょっと児童書を読む機会があり、最近本作を読了したので記録する。
ライトなネタバレを含むので、本書に興味がある向きはご注意されたい。

本書はタイトルからSFかと思ったが、違った。少なくとも、タイトルで連想したヒューマノイドと人間の交流話……ではない。いわゆる思春期クライシスの話である。空想が(ある程度は)その人の中の現実になってしまう年頃の少女の話。
読んでいて、自分にもこんな頃があったのを思い出させられた。こんな極端ではなくても、他人には、特に親には、絶対に自分を理解してもらえない、そういう頃のこと。
この主人公は、あるきっかけで摂食障害に悩まされてしまう。そんな自分を責める気持ちもあるし、母子家庭での母親とのコミュニケーションの問題もあるが、どうがんばっても食べ物が喉を通らなくなる(ちなみに摂食障害のきっかけはダイエット目的ではない)。
ここまで極端ではなくても、思春期クライシスはある程度は誰にでもあると思う。
そんなとき、他の人と違い過ぎている自分のいうことを、否定しないで受け止めてくれる人がいたら、どれだけ救われるだろう。
主人公には、『まるちゃん』という男の子の友だちがいた。朝の登校ルートでなんとなく出会える友だちだったが、今回のことでかけがえのない存在になって行く。
彼がすごいのは、彼女の摂食障害の理由が現実的ではないかなり変なことなのにもかかわらず、ともかく傾聴して受け入れたことだ。主人公の母親でさえ、接触障害の理由をダイエットと決めつけていたのに。彼の傾聴ぶりは、凄腕のカウンセラー並みである。問題に対する質問はしても、そんな問題自体がありえないと否定したり、自分の意見とか常識とかを挟まない。なにしろ、どんなに変な状況で、彼女の思い込みとしか思えなかったとしても、彼女にとってはその思い込み自体が現実なのだから。
そしてその上で、主人公を東京(彼らの街からは電車を数本乗り継ぐ距離らしい)へと連れ出してある人に会わせたりなど、医者にはできない別の観点から対応を考えてくれる。
そのような中で、主人公は何年振りかに祖母を訪ねて父について聞いたり、あるいは母親の彼女に会ったりして、自分の視野を広げて行くのだった。
思春期クライシスの解決策は、一概には言えはしない。ただ、色々な人に会って話してみることは、大きな一助になるだろう。
思春期クライシス真っ只中の本人さんにも児童書としてお勧めできるが(悩んでいるのは自分だけではない的な意味で)。むしろ、この世代(中2・中3から高校1〜2年生くらいか?)の子どもさんがいるご家庭の親御さんにこそオススメ。特に父親に読んでほしい感じがした。「ムスメが何考えてるか分からない」と悩んでおられるお父さんに。思春期の皮膚感覚が少しは理解できるかも? ただ、小説1本読んだくらいでわかった気にならないではほしいが(思春期クライシスはケースバイケース。その子によって悩みのポイントが全然違うから)。
例えばの話、まさかムスメの急な食事拒否の理由が『「自分が、お母さんがどこかで買ってきた最先端の少女型ロボットだった」と唐突に思い出してしまった』からだ、なんて、親を含めた他人からは絶対に想像がつかないだろう。しかしそれこそが彼女の現実だった。だから大変だったのだ。そんなことあるわけない、と外側から否定するのは簡単だが、彼女にその種の意見は届かない。それは共感ゼロで勝手な常識を押し付けているだけだから。
本当に彼女がロボットだったのかどうかは、本書を最後まで読んでみれば分かるかと。ただ、ある意味では本当にロボットだったし、ある意味ではただの思い込みだったと言えるだろう。それはどっちも真実で、どの立場から見るかの違いでしかないのだ。現実って、多層的で多要素的なものだから。
それにしても自分もローティーンの頃は大変だったなあ…色々と。

第四番大吉

前のダイアリーを見直していたら、こんな記事が。

ちょうど干支が一周前、12年前の2007年の初詣で引いたおみくじが、第三番大吉だったという話。
それでですね…。今年の…同じくイノシシ年の初詣で引いたおみくじが、これまた『第四番大吉』だったのです! そう、番号がひとつ違うだけ。
『吹く風に 高峰(たかね)の雲も はれ行きて 涼しく照らす 十五夜(もちのよ)の月』
もちのよ……、お正月だからお餅か!(違う)
冬から春になって月が輝き開運繁盛。ただし油断大敵…云々、らしい。勉学運は真面目にやれば良いらしいのは、仕事柄大変に有難いことです。
それにしてもおみくじって、番号と運勢と内容の対照はどの神社でも同じなのでしょうかね? フォーマットが大体同じのが多い気がします。
昔から、初詣のおみくじの引きは強い方で、子供の頃に何年か連続で大吉を引いたこともありました。これは12年前も書きましたけど。
なんにしても、この偶然には驚きました。
それにはてなダイアリーは、書き続けると面白い発見がありますね。継続は力なり、けり。

言葉には気をつけるべし…。

夜21時のNHKニュースでゆとり世代論をやっていた。
この世代について、自分は仕事柄、彼ら彼女らの学生世代を数年前にそれとなく見ていたので、あまり悪いイメージを持っていなかった。個性的な人が多いというのはこれからの日本にとって大事だと思うし、実際に接していても、よく言われているほど礼儀知らずでもなかった。
この国では今後はただでさえ人口が減っていくんだから、いろんな個性でもって国を盛り上げてほしいなっていうか…。たとえばコンテンツ産業といったような、個性が大切になる業種がますます重要になるだろう、と、思っているので。
実際、起業家が多かったり、天才肌の選手やアーティストがとくに増えたのは、ゆとり世代以降のように思う。統計などは知らないからあくまで個人の印象としてだが。
詰め込み型の学習はある程度までは必要かもしれないが、そればかりでは本当の問題解決能力が育たないってことにも、この世代への教育から社会的に気づきが広まったようにも思う。インターネットネイティブ世代であることも大きいのだろう。世界を肌で感じてきた世代でもあるのだ。
実際、このニュース番組では、この世代の起業家の声なども取り上げて、個性派ということでまとめていたと思う…そこまでは良かったのだけど。
VTRを受けての女性キャスター曰く「ゆとり世代も捨てたもんじゃない」。耳を疑った。人サマに対してこれは無い! 男性キャスターの方もコメントをフォローしきれなかった感じを受けた。いったい、何を捨てるというのか? 上から目線すぎる。
世代論は人をひとくくりにしてレッテルを貼り付けるというものであるし、非常にセンシティブな話題なんだから、言葉には気をつけていただきたい。
言葉は生き物であり、この国には『言霊』(コトダマ)という概念もある。ニュースキャスターは言葉のプロなのだから、本当に気をつけてほしいものだ。市民に聴き込みしたり、インタビューなどでしっかり取材されて真っ当な結論で終わったVTRのことなど吹っ飛び、あのひとことだけが印象に残ってしまった。取材スタッフやインタビューに応じてくれた人たちが気の毒である。
ニュース番組を見ていてここまで気分が悪くなるキャスターのひとこともそうはないだろうが、反面教師として言葉の大切さに気づかせてくれたという意味では捨てたもんじゃなかった…と、思うことにしよう。

僧衣でもジャグリング

お正月といえば隠し芸、というのはもうだいぶ前の番組。
でも、このお坊さまは現役の隠し芸。
僧衣でジャグリングする人を初めて見た。
なんだかめでたいような、そうでもないような。
きっかけが、例の、車の運転時に僧衣を着ていたら危ないっていうことで、切符を切られた案件だとか。
だからってこういうアクションは面白い。
嫌なことがあったらユーモアで返す、って、高等技だなぁ。

NHK「サピエンス全史」の番組ではSF漫画を思い出させられた

先程までNHKで書籍『サピエンス全史』『ホモ・デウス』の特集番組をやっていた。

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(下)文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(下)文明の構造と人類の幸福

ホモ・デウス 上: テクノロジーとサピエンスの未来

ホモ・デウス 上: テクノロジーとサピエンスの未来

ホモ・デウス 下: テクノロジーとサピエンスの未来

ホモ・デウス 下: テクノロジーとサピエンスの未来

ただ、なんというか内容に既視感があるなあ...と。パクリとか盗作だとかをいいたいんじゃなくて、普遍的なことを言っているのではないかということなんだけれど。
自分的には、

  • 手塚治虫先生
  • 竹宮惠子先生
    • 地球へ…』の最母体コンピュータ”地球”との最終対決シーン
    • 『エデン2185』のゴドリー(脳を電子化した存在で、主人公である宇宙船クルーの相談相手を務める)
  • 光原伸先生
    • 『アウター・ゾーン』のエピソード『恐竜時代』の終盤のインタビューシーン。古生物学者となった主人公がマスコミに対して「人類は自然が生んだ地球への対抗者。人類は自然を支配ではなく制御すべきだ」と語っていて印象的だった。当時のコミックスあとがきによれば、これは作者さんが恐竜関係のことを調べていて思ったことそのものらしい。

などの作品をイメージして見ていた。とくに後半の『ホモ・デウス』については。
人類は小麦やコメを食べるために育てていたはず、が、実は人類は小麦やコメに支配されていたのかも、という逆転のたとえについても、本書『サピエンス全史』を読んだことはないんだけれど、本書以前になんらかのフィクション作品で自分は触れていたような気がする。それがなんの作品だったかのはわからないのだけれど、テレビを見ていて違和感は無かったと思う。それより納得感のほうが大きかった。貨幣経済は一種の信仰である、ということも、ほかの何かで読んだ気がする。
AIが進化してやがて人類の側を支配するようになるかも、というのも、本書以前にもいろんなSFで言われてきたことだ。しかし、フィクションではなく、歴史学を修めた人、という人文科学者の側からきちんと警告した意義は大きいのだろう。
想像力が欠如していたというネアンデルタール人と、想像力があったホモ・サピエンスの差の話で思い出したのが、ロボット開発の話。話は大幅にずれると思うが、日本ではASIMOAIBOなどの人とのコミュニケーションを企図したロボット開発が他の国に比べて盛んなのは、日本には鉄腕アトムがいたからだ、というのを聞いたことがある。つまり、ロボット開発の現場に、漫画やアニメですでに共通のイメージの種がまかれていた。開発チームはアトムみたいなものを作るつもりでASIMOを作ったとかって。共通イメージが有るとないとでの強みの差は、なにも古代人の話じゃなくったって、この現代でも実証されていたのだった。そういえば日本にはドラえもんもいるので、そのうち本当に『どこでもドア』ができてしまうかもしれないな。
閑話休題
なんか本書の考え方は斬新だとか言われているみたいだけれど、自分みたいな激浅漫画読みでさえ、昔、すでに読んでいた考え方というのが逆に発見だったというか。繰り返して書くけど、別に本書がパクリだとか言いたいんじゃなくて、漫画家さんたちが全力でいろいろと警告していたことが、いよいよ人文科学の世界でもリアルに学術的に警告し始められたってこと。それだけ、人類は危機的な状況にある感じがするんだよなあ。
なんかこれを書いていたら、亡き(泣)和田慎二先生の『超少女明日香』も思い出してきた...。『黄金のドクロが笑う』編。あれも地球を支配しようとする人類への反作用みたいな話だった。昔の記憶だからうろおぼえではあるけれど。
本当に、我らが人類は...どこから来てどこへ行くの、やら。

台風1号発生だって!

初詣のおみくじ引いて、大吉を喜んでいたら、スマホから台風情報!
はやくも台風1号
日本には冬には台風が来ないから馴染みはないけど、実は台風そのものは1月から発生しているみたいだ。
今年も台風の年になっちゃうのかな。去年の関西のはすごかったし…。

と思っていたら、台風のシーズンは統計的には2月スタートと考えた方が良いようで。
1月の台風は『もう』というより『まだ』発生してるの?
と捉えた方が良いとか。
台風1号発生 「正月なのにもう台風が」ではなく「正月なのにまだ台風が」(饒村曜) - 個人 - Yahoo!ニュース

でも台風カウントは何年の何号だから、1月からってことか。

2019年もよろしくおねがいします

謹賀新年(2019年)
謹賀新年(2019年)
やはり、はてなダイアリー……じゃなかった、はてなBlogには今年もお世話になると思います。
見ていただける方、それからはてなをはじめWebサービス関連スタッフの皆さん、よろしくお願い致します。
Webセキュリティの世界が、どうぞ1年、平和でありますように。