計算すること、公開すること

人生にはいろいろと計算がある。
計算通りに行かないことの方が多いかもしれない。
でも、そうしたときに、一人であたまを抱えて何年も過ごしてしまうか。
とりあえず、即座に誰かに相談できるか。
それで、全然生産性が違うなと思う。
あと相談する相手も……一番ダメージが来るヒトは誰なのか、を、すぐに考えてそのヒトに最初に言えるか、とか。


web 2.0の勉強で一番学んだことは、情報をある程度信頼できる場所と形で公開することの効用。
こっちの持ってき方次第で、有意義なツッコミが入ったりするし。
あと、情報を公開するってことは、客観的に見やすいレポートを作ることなので、その制作過程でアナや可能性に気が付いたりするし。
そして、思わぬツッコミで新しい角度から問題を見つめることが出来るようにもなる。
自分ひとりで出来ることなんて、たかが知れてる、って知っておくことが重要なんだと思う。もちろん、自分がするべきことはする。ただ、自分の責任や能力を過大評価したところで、良いことは何もない。下手なプライドで過大評価してしまえば、土台が固まっていないところに江戸城を造るようなことになってしまう。


情報を持っているヒトが、公開する気になってくれるまでが大変。
情報を持っているヒトが、公開の効用を知っているならいいけれど、公開の効用を信用していないとなると、こっちから働きかけて公開してもらわないといけないので……。
情報公開条例とかができて久しいけれど、自治体レベルの話だけではなく、そういうのって普通に生活していても必要だ。


絶対的に人間には寿命があるし、色々なことの期限ってあるので。
許される費用と、時間と、精神衛生上の健康と、いろいろ考えなくては行けないけれど。


気持ちよく健康に過ごすためにどうするのが良いのか、ということが一番大事なんだと思う。
必要な部分でさぼってしまうと、絶対にどこかにしわ寄せが大きく来る。
ツケ、といってもいいかもしれない。


必要なところのけじめをきちんとすることで、健康的な生活が送れる。
これは情報に関しても、家事や社会性に関しても、そうなんだろうね。