日光さん月光さんの間にてぼけっとする

NHKの招待券みたいなものに誘われて、夜の国立博物館へ行ってきました。入場者人数を限ってじっくり見られるということで、ホントにじっくりじっくりじっくり…………。
でも、じっくりじっくりじっくり居着いていたのは、日光さん月光さんのお部屋。正確には、「国宝 日光菩薩立像」と「国宝 月光菩薩立像」の展示室。そこ以外はあまり見ていませんでした。
さすがにお薬師さまは東京まではえっちらおっちら出来なかったようですが……(そりゃそうだ!)。仏教界の助さん、角さんがはるばる東京まで飛んでこられて、んでもって私なんぞにじぃ………って見られておった訳です。
えーっと、写真より大きい(当たり前やん)。こんなに大きいんだっけ? 見上げると首が痛くなる高さのお顔を眺めてみたり、お背中を観察してみたり(けっこうせくしい)。細かい細工にいちいち感心してみたり、角度を変えて見たときの表情の変化を5度単位でちまちま歩いて見つめてみたり、ただただぼけーっと見上げていたり、見つめてみたり、しげしげしたり。動いたらどうなるか想像してどきどきしたり、頭なでられたらどんな感じかかんがえてにこにこしてみたり。お二人の間に立ってちょっとだけお薬師さまの気分を味わってみたり(こんな頼りがいのある二人が付いていてくれたら、安心して座っていられるなあ、いいなあ、さみしくなくって!)。指の角度を手でまねしてみたり。
結局、気が付いたらこの展示室に90分くらいは居着いていたかもしれん。アツーい目線を送りまくってしまいました。今頃、上野の展示室でお二人さんが照れておられたらどうしましょ? これだけ居着いていたら、あれこれ病気も治るかな? 仏教界の薬剤師さんだしねえ。
ちなみに、個人的には月光さんのファンかもしれないです。柔らかそうな感じがしたので。いや、じっさいは固いんだけれど。


徹底的にぼーっとしていて、表情があるようでないようでないようであるようなこのお二方がすっかり気に入ってしまいました。多分、なんらかの表情が見えるとしたら、それは、自分自身の心を鏡に映して見ているような感じなのかも知れません。もちろん、日光さんも月光さんも私にとっては「別人」ではあるんですが、仏像鑑賞って、一種の無表情の中に自分自身を読み取っているようなところがあるのかもしれないなあと。
自分自身をゼロにしたとき、初めて何かが見つかるんだろうなあ。ゼロに仕切るのはなかなか難しいものですが、仏像鑑賞を通じるとその無表情をヒントにそれっぽい状態にはなれそうな気がします。
ともあれ、じっくり拝ませていただきました。ありがとうございました。