いじめの構図と克つ方法


職場での人間関係は、こじれ始めると大変です。
ところで、上記の記事で、職場でのいじめの構図と対処方法について分かりやすく述べられておりました。詳しくは記事をご参照下さい。
私が意外に思ったのは、いじめられる側に仕事の実力があるなど、いじめる側が脅威に思うことがあると、それがいじめ発生の原因になる、ということです。これは言われて見なければ分からなかった発想です。でも、確かにそういうところはあると思います。人は何も関係が無い人のことを、わざわざいじめたりはしないから。八つ当たりするくらいのことはあったとしても、いじめはやらないでしょう。それより、「このまま放置しておくと若造に仕事が取られてしまう」「この仕事、俺が発案したのに、ヤツが勝手に発展させた。俺の仕事を奪って、俺が思っている以上のことをやるなんて卑怯だ」などと(自分勝手な理屈ではありますが)思われてしまうと、いじめたくなる。嫉妬とか脅威とか。
でも、職場チーム全体のことを考えたら、できる人がいてくれるのはありがたいはず。どんどん仕事を振って自分の仕事を減らして、その分、ほかの事でチームを成長させたり、大きな仕事をしたりすれば良いと思うのですが、自分がかわいいと思いすぎるタイプ、ある種のプライドがあるタイプの人は、視野狭窄に陥るとライバルをいじめることで自分を保とうとするらしいです。そうするとかえって効率が落ちて、ひいてはチームの評判が悪くなって、いじめる側も損をこうむるはずなのですが、そういうことには気が付かない。で、「俺はなまいきなあいつに社会人としての心構えを叩き込んでるんだ。これは教育であり、指導だ。何も悪くない」「わきまえの無いあいつが悪いんだ」とか思うらしい。
これ、ほんとに自分がやらないようにしないといけないですね。なにかやらかしていないか、しばし反省……。やってないかな? 大丈夫かな?


それから、学校のいじめにも通じることでもあると思います(自分が大学教育という場で働いているから思うのかもしれませんが)。
自分語りのようですが、私は、海外の小学校から東京の小学校に転入したことがあります。いわゆる帰国子女です。海外でも日本人学校に通っていたので、勉強ではさほど困りませんでしたが、それよりも人間関係の構築に子どもなりに悩みました。あれだけ互いに泣いて別れた友達を、あの国に置き去りにして、自分は新しい友達を作らなくてはならない。
そして、普通の転校生でもきっかけがあればいじめられることもあると思うのですが、私の場合は海外生ですから、なおのこと奇異に思われたらしいです。ちょっと体格が良かったからとかでいじめられました。でも、体格とかは口実で、実際は外から来た人を排除したい感情だったのではないか、と、今なら思えます。
そう、外から新しい人が入ってきて、今までのクラスがおかしくなるのが、彼らはきっと怖かったのでしょう。和を乱すな、とかそういう。さらに言えば、自分は外国に行ったことがない、という、子どもながらに自分で知らなかったコンプレックスとかもあったのかもしれないですし……。「おれは外国に行ったことがないのに、このおでぶちゃんは3年も暮らしてきたらしい。生意気だ、いじめてしまえ」みたいな……。
わたしにしてみれば、友達とは泣いて別れなくてはいけなかったし、外国にいたことの何が悪いのか、何を直せばいじめないでくれるのか、ぜんぜん分かりませんでした。今なら、直しようが無いことではありますし、そういう無意味なことに考えをめぐらせることよりも、相手が受け入れてくれることを耐えて待つしかなかったのではないか、と思えます。実際、海外生だとか関係なしに友達になってくれた人もいて、だんだん学校になじんで、いじめもいつの間にかそれほどでは無くなっていったと思います。


こうしてみると、オトナのいじめも、子どものいじめも、構図は似ていますね。
子どものいじめは、場合によっては教育者側が子どもの立場に立たないと解決は難しいですね。でも、きちんと、その子といじめっ子側、そしてクラスの雰囲気などを見ていれば、解決できないことはありません。
でも、オトナのいじめは、利権や立場が絡み、学校の先生のような絶対的監督者(大人社会では重役とか経営層などでしょうか?)がそうは現場に関わらない分、解決が難しいのかもしれません。上司が物分りが良いとは限りませんし、上司がいじめている場合もありえますし。


ともあれ、冷静になること、味方を増やすことが、いじめ解決への第1歩だということは同じでしょう。オトナのいじめの場合の詳しい対処方法は、先ほどの記事をご覧下さい。本当になるほどと納得させられました。


さらに、自分が何らかの罪を感じていることなどから、自分いじめに走っている場合も、同様に冷静になること、味方を増やすことで解決への糸口がつかめる気がしています。
自己肯定が難しい時代ではありますが、生きていけないわけではないので、私自身もあきらめずに生き延びようと思います。