ヒトが生きるコストを高くし過ぎ

日本って、そうなんだよな。ヒトが生きるためのコストを高くし過ぎているんだよな。いろいろと。
今の日本の「普通」を維持しようとすると、ほんとうにアレコレ借金しなければやっていけない。そんなことを、みんな知っているんだもんな。普通のヒトが、ちょこっとがんばれば、どうにかなるような社会になっていないんだ。

日本全体にいろいろつくっちゃったものの維持費を支払えなくなったら、っていうか、だんだんそうなりつつあるんだけど……逃げるしかないのかな。


子供や高齢者を「面倒見られない」と虐待したり殺害したりする事件が増えたり。治安が悪くなって詐欺やかっぱらいがふえたり。
あれ、みんな、逃げていることの現われだ。


そんなの、心のそこからおかしいっておもうんだけど。
じゃあ、自分に何ができるかっていったら、たいしたことはやれてない。
せめて礼を失しないようにきをつけるだけ。


RPGのラストボスなら、適当にゲームデザイナーがバランス調整してくれているから、まあ、踏ん張れば倒せるけどさ。
現実の社会的ラストボスは、ゲームデザイナーがいないし。
明らかに倒せないって分かったら、逃げて縮こまっているしかないのかね。


良くしようとしていろいろ踏ん張っているヒトをやたらめったら叩く報道にはもううんざりだ。過程には失敗がつき物だっていうのに、失敗を許さなかったら成功も生まれない。この社会は閉塞感を自分で作ってるんだもん。なにが生まれるというのだろう。
欠点を指摘することと、「叩く」ことはまったく違う。何が何でも否定することからはなにも生まれないだろう。
欠点を指摘することには、まだ向上を待つ余力があるけれど、「叩く」ことは未完成をゆるさないのだ。で、叩いたひとが結果の責任をとろうともしないんだから始末が悪い。


ってなことを考えていたら、ループにはまって抜けられなくなった。良くないなあこれ。
でも、未来が描けない感じを持っているのは事実なのだ。
自分でよくなろうとしなければ何もかわらないんだけどな。