初心者の目で、今のWebを考える

Skypeを利用して、遠隔で友人のサイト作成サポートをしてみた。
画面共有機能は重いようなので使わず、要所要所でスクリーンショットを使って説明しながらのサポートだ。
どこをクリックするとか、言葉では伝わらないことが多い。自分が直感的に分かる部分も、友人には言葉を尽くしてようやく分かる、ということが連続し、正直、非常に疲れてしまったが……。つまり、逆に考えると、私自身は「(普通の人には)分からない」ということが経験できない、のである。
初心者の目でモノを考えるクセを付けておかないと、サポート業務に携わるものとして大切な眼を失ってしまう。考えさせられる出来事だった。


それと併せて考えていることがある。
たとえば、いきなり高速道路を走らせる自動車教習所は、ありえない。
しかし。
今のインターネットでは、黎明期からWebの進化を経験してきたヒトが「みんなが便利に使えるように、苦労をしなくていいように」と、Webサービスを「便利便利」な方向へ構築しているため、初心者も経験者も「いきなり高速道路」のような状況になっているような気がする。
例えば、今からWebを始めたら、すでに無料で動画を見られることが当たり前になっている。そのために、動画を作るのにお金がかかっている、ということを見落としてしまうとか。その結果が、希薄な著作権遵守意識だ。
高速道路を走らせるためには、まず所内教習で基本的なこと……車への乗り込み方やエンジンの掛け方など……からを学び、道路交通ルールや法律についても初歩の初歩から勉強する。その後、実技と筆記試験をパスして仮免許を取り、ようやく路上に出られる。それも教官とマンツーマンで練習し、高速道路に出られるのは本当に教習課程の最後の最後だ。
こうした苦労をしないで、Webをいきなり便利に使えている状況。
本当にコレで良いのだろうか。
教習所のようなものは必要ではないのだろうか。
たまに、社会的成功者と見なされるような職業の者が、Web上でまずい行動を取って報道に上がることがあるが……。たとえば、違法なコンテンツを販売したり、ファイル共有ソフトを職場でも使っているPCにインストールしてウイルスに感染するなど……。正直、Webへのスキルとかマナー、ネチケットのようなものを知っているかどうかというのは、社会的な地位とは全く関係がない気がしている。そんなことも知らなくてよく『お仕事』ができるなあ、と、思わされることもたびたびなのだが。
知る機会が無かった、では、社会人としては済まされないだろう。
知らないというのは多大なリスクだ、という意識。これを持たずにWebを使うのは、危険が大きいと思うのだが……。


将棋の羽生善治さんが唱えている『高速道路理論』と併せて考えてみる。

将棋が強くなるための高速道路が一気に敷かれたということだと思います。でも、その高速道路を走り切ったところで大渋滞が起きています。

つまり、初心者が将棋で強くなるためには、たくさんのヒトと対戦したり、棋譜を読んで自分でコマを並べてみたりして、定石と言われている定番の打ち方を自分の身に付けたり、さらに自分なりの打ち方を考えたりしなければならない。
今までは、将棋サークルに所属するなどして、リアルの場に行かなくてはならなかったが。今はインターネット上のオンライン将棋で経験を積むことが出来るし、棋譜などの資料も探しやすくなった。
結果、経験も資料もあっという間に貯められるので、ある程度の強さになるまでの速度は飛躍的に上がった。
つまり、努力すれば誰でもかなりの腕になれる時代がやってきたのだ。
しかし、腕のあるヒトがたくさん生まれてしまって、以前ならコレくらいの腕でならプロに上がれた、というレベルラインが、断然シビアになっているようなのだ。
これもまた、インターネットの高度化がもたらした現象だ。
誰でも、プロの一歩手前までは来られるとしても、そこからプロになるのに必要な『何か』は、そう簡単には見つからない。


生半可な努力ではプロに成れない時代。ともかくみんな忙しい。常に情報を集め、努力しないといけないという時代。
それに、将棋の腕を上げるために、インターネットを利用したい、としても。インターネットの適正な利用のためには、やはり知っておかなくてはいけないことがたくさんある、と言えるわけだ。


知るべきことが多過ぎる。
人間は、どこに行こうとしているのだろう……。