釈明公開よりも、音楽的意味に興味がある

SN氏事件、S氏の釈明が各報道機関に送られてきたようです。日経オンライン版から。

本人曰く……の、様々なことや、何が正しく、何が嘘だったのか……に関しては、客観的な立場からの診断や検証を待ちたいと思います。当然、NHKなども含めてです。
個人的に最悪のケースだと思うのは、本件が音楽ゴシップとしておもしろおかしく取り上げられておしまい。N氏がS氏から与えられた命題に対して音楽的に真摯に出した答えに関しては誰も評価しない。再演もされない。歴史から消える……と、いうことです。
きっかけと経緯はどうあれ、生まれた音楽に関しての評価はまだ定まっていません。
それから、本件の影響で新人の作品が発表しにくくなるようなことがあってもいけないと思うのです。
また、音楽著作権という既存の概念からは、あまり想定されていない状況じゃないかな、と思うので。
今後、クラシック音楽のジャンルでコラボ的に作品を作る、ということがまた他の作品、他の作者さんでもあったら良いんじゃないかなあ、と思うので(この点では今回の収穫だと思っています)。もちろん、いろいろと立場とかは明確にしてですけれど。
作曲が出来ない人でも、オーダーを出すなど作曲の形に参加することはできるわけで。
たとえば、我が高校の吹奏楽部のために1曲書いてください。時間は何分くらいで。和楽器をも使って下さい……という位だったら、まだ作曲に参加したとは言いがたいかと。
しかし、曲の展開の提案などを細かく出した場合、オーケストレーションをした場合などでは、作曲に参加したということは出来る部分もだんだん出てきそうな気がします。

※2016年2月18日(木)修正
下記の段落に関しまして、当方の事実誤認があった模様です(確かなメールを頂戴致しました)。
補作という事で少々の修正点はあったものの、ほぼ原曲通りとのことです。
S氏のあの件とはまったく異なる事例であり、参考例とするのには該当しないと判明致しましたので、お詫びとともにdelタグによる削除とさせていただきます。

吹奏楽コンクール曲ですと、古いですが1988年度課題曲『カーニバルのマーチ』という明るい行進曲がありまして。ポップス風のマーチなんですね。本作のクレジットは杉本幸一:作曲、小長谷宗一:補作。しかし……実は杉本氏の作曲をだいぶ小長谷氏が書き直していて、かなりの意味で原曲とは別物だという話を、とある吹奏楽の先生から伺ったことが。まあ、文献的な意味での証拠はないのですけれども。ただ、楽器を演奏する中高生の立場からすれば、どちらの方がどのように制作したかということなんて気にしませんし。
私自身、本作は明るくて楽しい名曲で、取っ付きやすくもあり、それでいて完成度も高い作品だと思うのです。だから1988年の作品であるにもかかわらず、2011年に改訂版が発売されたりしたのかなと。

音楽作品は、誰がどうやって作ったかということももちろん大切なことですが、より大事なのはその曲そのもののクオリティがどうなのか、だと思っています。
今回の件、せっかくの作品の音楽的評価の機会まで奪うことにならないと良いのですが。
作曲なる物をちょっとだけやらせていただける機会があって、それはとても難しいということだけはよく分かった! という経験のある身としては、せっかく作ったのに捨ててしまうのはもったいないなあと、どうしても思ってしまうのです。
一連の作品が、ほかの普通の作品と同じように、それなりにきちんとした形で、信頼の置けるところでの管理なり継承なり研究なり鑑賞なりができるようなポジションに置かれることを願います。