震災の話とべテルギウスの寿命のニュース

日曜日の昼下がり、震災の体験話を延々とやっているNHK。現場の人たちの話はやっぱり重いなと思いながら番組終了後もテレビをつけていたら、15時のニュースの一本目が下記。

震災は怖いぞと足元に怯えていたら、遠く遠くなスペースロマンのニュース。いやぁ、なんだか面白かった。真面目なニュースなのは分かってても。東大の皆さんお疲れ様です。本当にすごい発見だし、こういうの、何でそんな遠くのことがわかったの? って、いつもそうなる。研究ってすごいな。
ともあれ2本目がロシアでの新型コロナウイルスワクチン承認のニュースで、今ならこっちを一本目にしそうなモノ。おそらくニュース番組のディレクターさんが、手元のニュースの報道順を考えたときに、この時間帯のニュース番組を目的でテレビをつける人はあまりいないだろうことから前の番組との兼ね合いを考えて決めたのではないか? とか思ってしまった。今ならどう考えても新型コロナが優先だろうし。
全〜部、憶測。まァ考えすぎだと思うけど、何にしても宇宙って大きいし、地球も結構でかいし、人間はちっぽけなんだよね。まぁ、それなりに生きましょう。
それにしてもさっきまでやっていた、陸前高田消防団員さんの話。震災直後も直後、まだ余震もある中での被災者捜索時。急場で団長さんが出した指示の的確さは頭が下がる。現状確認、外で起こりうる障害、そしてとりあえずの最終目標まで手短に指示していた。
現状=余震や津波がまだあるなど。
過程=周辺の探索、住民に津波を知らせ高台へ避難。ただ、外で遺体を見ることになるかもしれない。
目標=どの道をたどっても良いからとしつつ、明確な集合場所を指示。
それにしても彼らは消防団の方、つまり、一般市民なのである。プロというわけではないのに責任が重いなぁとも思った。実際、遺体を見たりとかあったと思うし、例えばPTSDになったりとかしてても無理はないかと。公務員の消防隊員とかなら普段から鍛えるのも仕事のうちだろうし、心理面を鍛える演習とかもありそうだが、消防団員へのフォローはどうなっていたのだろうなぁ。ある意味、地元を守る愛や責任感やプライドだけでやっていくのは大変そうに思える。
それから、震災直後に自治体が連日配った臨時広報紙の話。ついフォントを見てしまった。ぱっと見だけど普通の明朝とゴシックだと思われる。しかし、行間の取り方、フォントの変え方、つまり情報の軽重をかけるメリハリの付け方が、あの想像以上の急場でもこんなに見やすく作れるんだなぁと感嘆した。普通のツールで凝らずにしっかり伝える公の強さ。
それに、このレベルの緊急事態では、テレビやラジオも良いが、よりしっかり読み直せて共有しやすい紙の情報はありがたかったろうな、と思った。
ただ、今はあまり広報紙が読まれていないとのこと。平時だからということではあるが、もったいないようにも思える。結局のところ、地元に生きるしかないわけなのだし。
それにしても、隣近所の人を知らない東京でこのレベルの震災が来たら、自分も含めてみんな自分が優先になって他人を救う気持ちの余裕を持てるかどうか不安だ。
知ってる人かどうか、差はそれだけなのに。