差別のタネ

個人的な仮説だが、差別は社会に余裕がないときに生まれやすいんじゃないかと思う。戦争のときとかそうだったんだろう。
なんの話かと言えば、新型コロナ対策ワクチンを打った・打たないによるハラスメントや差別問題である。
いうまでもないことだが、新型コロナの問題が発生して以後、世界からいろんな意味での余裕が失われた。
歴史的に見ても、感染症の患者さんは差別を受けやすいのだが、新型コロナでもそうだったんじゃないだろうか。
仕事で(都内某大学でのITサポート)、授業用にお貸しした機材をお返しいただいた際、新型コロナの患者さんが触れてしまった可能性があるかもしれない、と、もし言われたら、自分は冷静に対応できるだろうか。
もちろん、エタノールでの機材クリーニングを綿密に行い、完了したら手指洗浄を丁寧に、当該機材は数日は貸し出さない……というようなセオリーは守る。それは差別ではなく単純に必要な作業である。
そうではなく、返却にこられた先生やTAさんに言われたときに、その方を変な眼で見ずに! 冷静に「消毒しておきます。授業お疲れ様でした」みたいな感じで、いつもの通りに。
新型インフルとか風邪とかなら、多分こんな感情にならなかった。しばらく前に大学生にハシカが流行して数日間休校になったときも、こんな気持ちは持たなかった。
新型コロナウイルスは、流行し始めてから長いし、インフルエンザのような季節性もない。感染し、発症したら本当に命に関わりうる。
返却品を受け付ける、という、日常の仕事でも、自分の中に差別意識と恐怖感はあるのだ。それは自覚しておきたいと思った。自分は聖人なんかじゃないから、無理に押し殺したり無くしたりは出来ないかもしれないけど、せめて、顔には出さないようにしたい。
今、飲食店を回している皆さんはそういう意味でも素晴らしいと思う。コロナ患者さんがお客様にいらっしゃるかもしれない、ということと背中合わせだ。店内で黙って食べてもらうにも限度があるし。エタノール消毒作業など、店の運営での作業がぐっと増えたりもしているだろうし。収支もキツいだろう。それでも笑顔で迎えてくれる。
お相手様のことを考えつつ、自分も守る。無理はしない。
きっとバランスが大事なんだろう。そうすれば、差別意識は起こさないでやっていけるのかもしれない。差別のタネがたとえ心の中にあったとしても、育てないようにすれば良いのだ。育てないにしても、それがあるということは自覚して。