ベルばらのロザリーの顛末を見届けて

参院選の話の繋がりで、自分なりの民主主義感覚の基礎→ベルばらとフランス革命→そういえばベルばらの続きが出てるって聞いたような……。
ってことで、ベルばらの追加エピソード編を最終話まで読みました。
あのジェローデルがイギリスで出会った不思議な村の人たちって、やっぱり『ポーの一族』のあの人たちなのかな。霧が深くてバラが咲いてるとかもあるし。作者さんが違うけど、この辺りの作家さんたちは仲良しっぽいし。ちょっと面白いなと。『ポー』ちゃんと読んだことないけど、意外なコラボですね。
でもこういうの、昔はよくあったんですよね。和田慎二先生の『スケバン刑事』の神さんが、美内すずえ先生の『ガラスの仮面』の真澄さんとお友達とか。同じ雑誌内での作品を超えたコラボ。
最近はそこまで凝ったことにはならなくても、例えばある雑誌の看板作品がアニメ化されて、連載作家さんたちがお祝いイラストを描き合うっていうのはたまにありますね。見慣れたキャラクターがいろんな作風で描かれて新鮮で楽しい。
さてと。脱線した。
ベルばらの続きでは、ロザリーは息子のフランソワとともにフランスを脱出。
そのフランソワは、のちのスウェーデン王オスカル一世となる少年の家庭教師に。ロザリーもフランソワとともにスウェーデンで晩年を迎えた模様。
こうして、歴史というものは紡がれて行くのだなあと。生きるも、死ぬも。
小市民に出来ることは、自分を生きることだけかもしれません。ロザリーはスウェーデンで息子が自分の道を切り開く様を見届けることが出来て、きっと満足したことだろうな。
今の時代も、フランス革命期に負けず、大きく揺れているように思います。しかし、こういう時だからこそ、自分の持ち場を守ることが、きっと大事なんだろうなと。
それで思い出したのですが。
氷室冴子先生の『銀の海 金の大地』という作品に、「わたしという名の王国」という言葉があるのです。波美王が出てくるあたりでしたから、かなり話の先の方でしたが。
たしか「心に金の砂を持ち、わたしという名の王国を守れ」とか、そういうセリフだったかと。自分が自分であることに誇りを持てと。
この言葉は、『ベルばら』の「髪の毛1本に至るまで人間は自由」という言葉と、どこか通じる物を感じます。
それを念頭におきつつ、今の日本を考えます。
一国の元宰相が、恨みを募らせた市民により手作りの銃器で撃たれるという、恐ろしい事件が起きてしまいました。
犯人はすぐに逮捕されたので、事件の動機や背景を警察は必死に聞き取り、しっかり調べていると思います。
いろいろと報道されていますが、憶測や邪推は除外し、あくまでも客観的な事実がまとまるまで、自分なりの考えは大きくは保留したいと思っています。
ただ、今の段階でひとつ書いておきたいのは。
もしも犯人が自分なりの王国を責任持って心の中に育てていたら。
自分は誰かに支配されているのではなく、自分は自分で歩くことが出来ると確信していたら。
こんな事件を起こすことはなかったのではないかなと。不満をぶつけるにせよ、問題提起するにせよ、もっとまっとうな方法をとってくれたんじゃないかと。独立したひとりの人間として……。
(もちろんこれは、自己中心という意味ではなく……)
それが、つくづくと残念でなりません。
本件だけではなく、このところ、普通の市民による凶悪犯罪がたくさん起きてしまっています。
わたしは厳罰化だけでは犯罪抑止にならないと思っています。そういう人たちは、もう自分には喪うものは無いと思って事件を起こしてしまうからです。
必要なのは厳罰化ではなく、もっとヒトがヒトとして尊重されることだと思います。
このことで、思い出される作品があります。上がマンガ版、下が原作本。ただ、単純なマンガ化ではないので(マンガ版では原作本を踏まえた上でのインタビュー形式で話が進むので)両方お勧めします。
ベトナム戦争海兵隊員として戦った、一人の男性の実話です。
この本の中で、戦後のPTSDに苦しみながら、なぜ自分は戦争に参加したのか繰り返しカウンセラーに問われ続ける場面があります。
何年も、何年も。
結局の所。彼がベトナムの人たちと戦い、殺し続けたのは、ベトナム人を人間と思っていなかったから。戦闘本能を開け放ちたかったから。単なる黒人ではなく、名誉あるアメリカ人になりたかったから。
彼が戦った理由の根源は、差別心と、自己保身でした。そして、それを心底から認めたとき、彼なりの本当の人生が始まったようでした。
これって、どんな戦争にもあてはまる気がします。それなりには。
結局の所、戦争勃発の根底には、差別と自国保身がある。
今起きているロシアとウクライナの戦いもきっとそう。
ウクライナNATOに加盟したらロシアにとってとんでもなく脅威だったから、では。
つまり、あの時。ウクライナがすごい国になりそうだったから。いろんな理屈を強引に取っ払ったらそういうことなんだと理解しています。
ロシアにしてみたら、ウクライナ「なんか」に上にいかれたくなかった。きっとそういう気持ちはあるはずです。だから外交ではなく戦争を手段としたんです。尊重していたら外交努力をもっとしていたはず。だから平気で市民の場所を銃爆撃する。それって、プライドある近代国家のやるべきことなのでしょうか。
ウクライナのためだけではなく、今後のロシアの歴史のためにも直ちに停戦して欲しい。自ら手を引いて欲しい。もし、勇気を持ってそうしてくれたら、歴史を少しでも味方に付けることができるのでは。
このまま、アメリカやヨーロッパを巻き込んで戦争が激化していったら、核戦争が起きかねません。そうすれば、最悪の場合は地球そのものが破滅します。世界の市民を巻き込んで。大国ロシア・アメリカといえど、その責任は取りきれないでしょう。
そんな時代に、ちっぽけな自分には何ができるか。
……わずかな募金くらいしか思いつきませんでした。割と直近に開設されて、どこかの市民の方を救えそうで、現場が結構ヤバそうで、ネットから送金できる、って基準でこちらを。Tポイントでも対応。


なけなしのTポイントだけど、日本円との物価やレートの差で日本円のままよりかは大きく役に立つはず……。
とりあえず、今はここまで。