仙台育英高校野球部、が甲子園優勝

今回は本当にどっちが勝っても本当におかしくない決勝戦でした。あの大阪桐蔭高校近江高校に勝って来た怒涛の勢いのある下関国際高校か、ピッチャー陣が全国でも稀なレベルで充実している仙台育英高校か。
結果は既報の通り、仙台育英高校の優勝だったわけですが……。試合の流れ次第って、こういうことなんですね。
げに、甲子園は恐ろしい。
さて、これで東北地方に優勝旗が渡ることになりました。本当におめでとうございました。
個人的に、この監督さんの優勝コメントが良かったので、冒頭に記事を紹介しました。
というのも、大学時代のキリスト教学の授業をちょっと思い出したせいです。
話は長くなりますけど。
大学はいわゆるミッションスクールだったので、カトリックについて学ぶ機会に恵まれていました。別に洗礼を受けるとか、そういうことじゃなくて……。聖書に書いてあることとか、文化とか、考え方とか、そういうことをやりました。
その中のひとつで印象的だったのが「11月は死者の月」という概念。より専門的な見地からの解説は下記をご覧ください。

個人的には、日本の文化では8月にお盆があってお墓参りするのと似た感じかなーと。あんな感じで、カトリックでは11月には過去に亡くなられた方にお祈りをする習慣があるみたいです。お墓に行くわけじゃなさそうですが。
で、11月になった時の最初の『キリスト教学』の授業で、先生が授業冒頭に、死者の月の紹介をざっとされた後。身近な死者のために祈ってみてください、として、数分間、黙祷の時間を取られました。
その際、先生がおっしゃっていた祈りの言葉に「言葉にならない祈りも、主に届けてください」みたいなことがあって。
これがなんだかいいなぁ、って、当時思ったものです。
大きな声で言える言葉ばかりが偉いんじゃない。
目立つヒーローばかりがすごいのではない。
普通は目に留まらない、ちょっとした善行や、何気ない気遣い、小さな人の良心が、結構、世の中を回していたりする。
あの日、授業を受けながら、そんなことも思ったものです。先生には伝えなかったけれど。
で、時は流れて流れて今日の甲子園決勝が決着。
監督さんのインタビューが本当に先程の、そういう気持ちを思い出させてくださいました。
冒頭の記事から引用します。

須江監督は8-1で下関国際(山口)を下した決勝戦後、グラウンドでマイクを向けられた。今の高校3年生は新型コロナウイルスの感染が広がった2020年の春に入学してきたことを踏まえ「入学どころか中学校の卒業式もちゃんとできなくて、僕たちが過ごしてきた高校生活と違う。青春って密なのに『ダメだダメだ』と言われて、どこかで止まってしまう中でもあきらめないでやってくれた」と生徒に感謝の言葉を連ねた。
 また目に涙を浮かべながら「全国の高校生のみんながほんとによくやってくれて、今日の下関国際さんもそうですし、大阪桐蔭さんとか目標になるチームがあったから暗闇の中で走っていけた。全ての高校生の努力の結果。全国の高校生に拍手を」と、全国の球児に向けたエールで締めていた。

つまり、仙台育英が決勝で勝ったこと……というよりか、甲子園大会が無事に終わることができたことへの、全国の高校生への感謝なのかなと思いました。
極端な話ですけど。全国の高校生全員がも感染対策に全く協力しなかったら、コロナが蔓延して大会どころではなかったはずです。
みんながやるべきことをちゃんとやって、大会を迎えて、最後まで終わることができた。自校が勝ったことはもちろんうれしいんでしょうけれども、それ以上のニュアンスを私は感じました。良いスピーチでした。
一応、甲子園は終われたとはいえ、まだまだ細かい制限がありました。応援で声を出さないとか。吹奏楽の人数とか。放送されない部分でもきっと色々あったのではないかなと。
早く、元のように、みんなが全力で応援できる状況になりますように。