愛のあるサイト(ブログ)運営のススメ

はてなブックマークでちょっと面白い(funとかではなくinteresting系でよろしく)ページを見つけた。あの、YukiWikiを開発した結城浩氏がプロテスタントのクリスチャンだと初めて知ったが、彼の手による、個人のクリスチャンが布教するためのサイト構築の心構えのようなものだ。

ご親切にもPDFバージョンまで用意してくださっている。


私自身はクリスチャンではないが、大学がカトリックだったことや、カトリック信者の友人に連れ回されて御ミサに与ったことがあるので、ちょっとは「祈り」などの概念になじみがあった。それを幸いに一通り読み通してみたのだが、これはキリスト教的な言い回しを翻訳すれば、おそらく一般サイトの管理人でも役に立つ事ばかり書いてあるのではないだろうか。


サイト(ブログを含む)を公開の場で(はてなダイアリーで言えばパブリックモード)を構築している人は、おそらく自分自身の興味分野の広報とともに「人のために役に立ちたい」という動機が多分にあると思う。このページではあくまでキリスト教の教えを広めるため、に限ってはいるが、結局のところ自分の知識が人の役に立てる事が喜びであるという点では、一般個人サイトもあるべき動機は共通なのであろう。
結城氏が再三「律法的に取らないように」と警告なさっているのは、平たく言えばこの指針がすべてであると思わないでください、ということだ。だが、私には参考になったので以下に引用しつつ、感想を書いてみたい。

  • あなた個人に与えられている時間は少ないかもしれませんが、ホームページは一年中24時間、あなたの代わりにイエスさまをあかし続けてくれるのです。
    • 自分の代わりにサイトが自分の考えをいつでも語っていてくれる。つまり、サイトはある意味で、もうひとつの自分と言える。内容を吟味し、心を込めて書かなくてはならないだろう。
  • 技術、文才、能力、知識、そういった必要なものはすべて主が与えてくださいます。それよりもまず、主を信じ、神を信じる信仰を堅く持ちましょう。
    • まず、出来るところから積み上げていこう。技術的な事は後から付いてくるし、その都度いろいろと学んでいけばいい。(分かんなかったら人力検索はてなだってあるし……^^;)
  • すべての活動において、主に栄光を帰しましょう。自分に栄光を帰するのをやめましょう。あなたが働くのではなく、あなたが働いたのではなく、主ご自身が働かれるのですから。
    • これを書いた自分が偉いんだぞ、とかの錯覚や、webでの売名に身を削り、賞賛されることの快感を求めてしまってはならない。とくにブログ等、レスポンスの比率が分かりやすいメディアでは気をつけなくては行けない。自分が偉いんじゃなく、書いた内容が人の為に役立ったら内容が偉いのであって、必ずしもそれを自分自身の名誉欲に引き換えてはならないと思う。人の為に役立つように執筆するという目を常に何処かに持ちたい。この辺りの事(評価と名誉と自己満足的な話)に関しては「ほぼ日刊イトイ新聞」での糸井さんとイチロー選手の対談にもあったので、参考にしたい方はどうぞ。
  • 公開後、さまざまなトラブルが起こったとしても、それもまた主が万事益に代えてくださり、イエスさまのあかしとなるチャンスとさせてくださるのです。
    • 試練は人を鍛える為にあるわけで。どんなトラブルも自分を磨くもと。
  • ただ読者としてページを読んでいるのと、作者の目になって読んでいるのとでは自ずから得るものも異なってくるのです。「私だったらどんなページにするだろう」という積極的な気持ちでいると、ただのページ巡りでも、大きな学びの場となるのです。
    • 同業ページを読み込んでいれば、違った物を創る大きな参考になる。
  • (そして、ただ批判的に見るだけではなく、各ページの管理者さんへ励ましのメールを送ったり、管理者さんのために祈ったりしてくださいね)
    • 同業ページの管理人さんは、言ってみればライバルであり、ある意味ではチームメイトとも言えそうだ。ともに同ジャンルを盛り上げていきたいという気持ちを持ちたい。
  • 夫婦における情報公開はとても大切だと思います。
    • 夫婦のみならず、家族や友人などにサイトの存在や活動内容を伝えておくことは、ネットトラブルがあったときに大きな支えになるだろう。(サイトの内容にもよるが)また、あまり考えたくはないが、事故などで長期入院したり、あるいは死亡してしまったときに、サイトの掲示板等でフォローをしてもらえるのはありがたいのではないだろうか。実際、いくつかのサイトでサイトマスターのご病気や死去を見聞きした事がある。その時はご友人が連絡してくださり、サイトユーザとしては悲しい事ではあったがそれらの情報はありがたかった。
  • 公開する前に、もう一度よく祈りましょう。心を静め、イエスさまにホームページをささげる祈りの後に公開をしましょう。(改行)ホームページを公開した後、自分でよく読み返してみましょう。今度は「作者の目」ではなく「読者の目」で見るのですね。不思議なもので、意識して読者の目でみると、これまで見えなかったまずい点が見えてきたりするものです。
    • ダイアリーの場合、プレビューモードは用がなさそうでも一度は通しておきたい。祈りを持つ、というか心を鎮め、執筆中の興奮状態から頭を冷やすということは、公開前に心がけておきたいポイント。また誤字脱字などは良くチェックしておきたい。意外に役立つのは、アップする前にお手洗いに行く事だ。トイレの中では色々と思いつくし、ひと呼吸置けるので。
  • はじめは、親しい人、特にいろいろと意見をいってくれる信頼できる人に見てもらうのがいいですね。検索エンジンに登録したり、教会の週報でアナウンスしたりして、「広い範囲の読者」に見てもらう前に、少数の人に感想や意見を求めることはいいことです。
    • 何でも言い合える読者は、やはり友人であろう。また、場合によってはサイト批評サイト等の活用も考えられるかもしれない。
  • 人の意見はよく聞く。でも判断はあなたがする。判断の際にはよく祈る。これがよいページを作るコツです。
    • かといって、いわれるままに鵜呑みにしてしまえば、自分のサイトではなくなってしまうということ。
  • 「プライバシーに注意しましょう」というのはホームページ公開やインターネットでよく語られる注意です。(中略)十分な祈りと判断のもとに、それが意味がある場合にのみ行なうのがよいでしょう。(中略)他の人の個人情報を許可なく公開してはいけません。(中略)「自分のページを見る人は限られているから少しくらい公開しても大丈夫」というのは正しくありません。ホームページは意外な人からも見られているものなのです。
    • ダイアリーを開いてみて、面白い言葉での検索が結構あるので驚いた。まるで想定外で。つまり、誰でもここの情報が分かってしまうという事の危険性は考えておきたい。特に、他人の個人情報を勝手に公開しない事。リアルの友人とやり取りしているブログではありがち。情報公開のコントロールも考えておきたい。
  • ホームページを他の人に読んでもらい、イエスさまの福音を宣べ伝えるためには「宣伝」が必要です(宣伝って「宣べ伝える」ことなのですね)。
    • 宣伝自体は悪い事ではない。サイトの存在が知られなかったら、その情報を求める人に届かないからだ。ただし、スパム的な手法は迷惑以外の何者でもないので注意。ここではメールのシグネチャが挙がっているが、個人サイトでもSEO的な手法は考慮しておきたい。
  • 同じキリストを信じる教会であっても、その教会のビジョンと役割に応じて、意見を異にする場合があります。(中略)どんなメールがきても、うろたえないでください。また、あなたひとりで対処しようとは思わないでください。いつも祈りを忘れないで、主への信仰を忘れないでください。おびえたり、怒ったり、相手を裁いたり、論破してやろうとか、やりこめてやろうという思いではなく、愛をもって対処するようにしましょう。
    • 感情的になると問題がややこしくなる。テキストだけのコミュニケーションなのでなおさら。反対意見から学ぶ事ってものすごく多いので、怒らずに逆に「教えてもらっているんだ」くらいの余裕を持ちたいものだ。
  • アクセスカウンタは便利なものであり、またホームページ運営の励みにもなるものですが、その反面思いがけない誘惑にもなりうるものです。(中略)アクセスカウンタの奴隷になり、(改行)アクセスカウンタを神とする(改行)というこっけいで愚かしい事態に陥ってしまう可能性もあります。そうなっては、せっかくのホームページが、神さまの栄光のためではなく、自分の栄光、あるいは自分の自己満足のためになってしまいます。自分の信仰の障害になるおそれすらあるでしょう。
    • ソースを広めるため、深めるための運営の参考数値がアクセスカウンタである。参考数値は目的ではなく、あくまで手段である。自分が表現したいもの、発信したいものを大切にしたい。数が目的ではない。
  • 質問のメールをもらったときには、愛をもって対処しましょう。必ずしも返事をしなければならないわけではありませんが、どんな場合でも、愛をもって対処しましょう。文章の内容だけがキリストのあかしなのではなく、あなたの態度全体がキリストをあかしするのです。返事すべきではない、あるいは返事する余裕がない、とあなたが判断するときも、その方のために主に祈りましょう。
    • モニタの向こうには生身の人間がいるということだ。返事が書けない場合も、何らかのレス(掲示板でごく簡単に状況を書くとか)はあった方がいいのかもしれない。また、返事に関する指針のような物を表明しておくと誤解やトラブルが避けられるかもしれない。
  • ホームページ管理者にとって最もつらいのは「無反応」です。(中略)でも、すぐにはあきらめないでください。あなたは種まきをしているのですから。十分に耕し、種をまいて、日々の世話をしているなら、主が芽を出させてくださいます。(中略)もしかしたら、私たちのまいた種が実を結ぶのを私たちは見ないかもしれません。洗礼を受ける人が「思い返すと、私の信仰のきっかけというのは(もうURLも忘れてしまったが)あのホームページだったなあ」ということでもいいではありませんか。
    • ちょっと感動した……。今日書いた記事に明日レスが付くことだけが、ブログやサイト運営のレスポンスだろうか? もしかしたら自分が書いた事さえ忘れてしまったような記事が、たった今誰かの役に立っているのかもしれない。(ウチのブログに直接のアクセスが無くても、コピペとかwebarchive、メール転載、キャッシュ等で)そんなことは、それこそ神のみぞ知る、だ。だからどんな記事でも、自分の役に立つ事だけでなく、誰かの役にも立ちそうになるように書く視点が欲しい。執筆の時点でもう一人の自分を持つ事は難しい事だが……。
  • ネット中毒に用心しましょう。あなたの人生のすべてがネットワークの上にあるわけではありません。あなたにはネットの外でのあなたの義務があります。
    • うぐっ! アイタタ!
  • ネットを神にしてはいけません。優先順位を間違えないようにしましょう。「神への奉仕」と自分に言いわけして、日常の義務を怠ってはいけません。日常の問題から逃避してはいけません。
    • はてな近藤さんの「生活の豊かさはデスクとベッドの間にある」(d:id:jkondo:20050204)をなぜだか思い出した。机(仕事)と寝床(休息)の間に、どれくらい「愉しみ」を持てるかで人生のクオリティが決まるというような考え方だと私は解釈している。人生を豊かにする為にネットがあるのであって、ネットが人生を浸食するのは危険だ。
  • さまざまな事情により、ホームページを閉じるときがあります。しかし、ホームページを開いたのが主のためであるように、閉じるのも主のためであることを確信しましょう。どんなことも、どんな小さなことも、主のあかしとなるように心がけましょう。(改行)可能なら、ネットでごあいさつしてからホームページを閉じましょう。またいつか、どこかで再会するかもしれませんから(クリスチャンとは御国で再会することは約束されていますけれど)。
    • サイトの閉じ方にも議論が色々とあるようだ。そこにしかない情報は重要なのだから、書き込み等をすべて禁止した状態でアーカイブとして見られる状態にしておくべきという考え方もあるが、いっさいのメンテナンスが出来ない状況で公開しておくのはいかがなものか、というのもある。また、最近では放置サイトにウイルスが仕込まれる可能性もある。いずれにせよ、事前に何らかの告知をしたりするなど、マナーは守りたい物だ。


今後も、ブログの運営に迷ったら読み返してみるといいのではないかと思った。