『裏世界ピクニック』(漫画の方じゃなくて原作小説の方)を最新刊まで何度も読み返していました。
この作品の『裏世界』は人の恐怖につけ込むようなところがあるのは、今までも散々指摘されてきました。
あまりの恐怖に発狂し、現世に帰ることができなくなったり、普通の人間ではなくなってしまったり。
妖怪とは作中では呼んでいませんが、『くねくね』『巨頭ォ』をはじめとする、妖怪としか思えないような奇妙な存在。
人には見えないトラップ(
グリッチ)も満載、歩くだけでも恐怖の空間。
『きさらぎ駅』『
マヨイガ』などの不可思議な建物たち。
裏世界は間違いなく、人の恐怖心をターゲットにしていますね。
そこに飲み込まれないようにするには、やはり人と人との絆なのかなと。
恐怖って、孤独からもうまれます。
現に、最初っから空魚は、1人で冒険していたら溺死していたはず。鳥子が助けてくれなかったら、裏世界ピクニックは最初の一章で終わっちゃってました。
そして、お互いがいるから正気に戻れる。恐怖に飲み込まれたり、裏世界に魅了されすぎたりせずに済む。それどころか、空魚の右目で裏世界の正体を認識し、鳥子が一撃。これで何度も事態の打開すらしてきました。2人じゃなかったらとっくに人間じゃなくなっていたはず。
つまり恐怖に打ち勝つのは愛。なんかそんな気がしてきました。
それから、9巻で、場のお祓いには強い意志を発することというのが改めて見えてきました。鳥子の銃もそうですし、前にファブリーズでお祓いなんてハナシも出てきましたね。さつきさんの葬儀では
こっくりさんのハッキング。
トーチライトの皆さんも意志をよりを鍛えると、裏世界案件のミッションで役に立つのかも。
そんなことも見えつつ。
さて、ヌエですね…。
大切だから愛おしく。
大切だからゆえに厭わしい。
愛の両輪ってそういうことなんでしょうか。
空魚は、どうでも良い人のことは無視しちゃうタイプだから、鳥子のことはよほどなのだと改めて思います。
もしかして、裏世界ってやつも「そう」なのかな。
向こうの世界の存在も、愛おしくて、恐ろしくて、いとわしくて、でもやっぱり離れられなくて。
さつきさんは特にそんな感じがした。
そして、もしかしたら、るなもそんな存在なのかもしれない。
さて。この本で、何度も考えていることは「裏世界はなんのためにあるのか」ですが。
それって、「この世がなんのためにあるのか」という答えの無い疑問とほぼ同義に思えてきました。
裏世界など存在しないであろう、現実世界の我々にとっても同じ。
そして、世界観は人の数だけあるものです。
なれば、少しでも楽しく生きるとよいでありましょう。
この先の展開もまた、楽しみです。