tribeworksの「iShell」のこと

昨夜、Amazon.co.jpのトップページからの「セール・バーゲン」をくるくると歩き回っていたら、いつの間にか音楽や映像を作るソフト「Max/MSP/Jitter」のサイトに迷い込んでいた。

Max/MSP 5 + Jitter 日本語版

Max/MSP 5 + Jitter 日本語版

オブジェクティヴなプログラミングで映像と音楽を作り出すツールらしい。
やれることに対してソフト単価はまあまあなほうかな、と。


これのユーザインターフェイスを見ていて、なぜか思い出したのはtribeworks(トライブワークス)社の「iShell」のこと。もう、10年前の話になるけれど、大学の卒業制作に完璧に煮詰まっていたあのころ。Macの雑誌で知った、日本語版がリリースされて1週間のそれを入手して、夢中になって仕上げて中間発表会に提出した。


iShellは、いわゆる「CD-ROMコンテンツ」オーサリングソフトである。
Mac OS日本語版がまだ「漢字Talk」と呼ばれていた1990年代後半は、CD-ROMコンテンツの全盛期でもあった。百科事典など、テキスト+画像+サウンドで学ぶ生きたコンテンツは、CD-ROMを購入して再生したものだ。
その末期に、「インターネット時代のハイパーカード」というコピーを引っさげ、MacFan誌で紹介されていたのが「iShell 2」だった。


当時、自分がやりたいことに対してツールが難しすぎて困っていた。
当時のCD-ROMコンテンツ作成といえば、Macromedia Directorの独壇場だった。が、一応授業で習ってはいたものの、やっぱりスクリプティングがやっかいだった。
もっとクリエイティブに集中できるGUIライクな……オブジェクティブなツールがほしかった。
何万円もするDirectorより、ライセンス自体はフリー(サポートが有料)の「iShell」のほうが、ずっと自分にフィットしていた。
画面に画像などの要素を配置したら、動きや反応を指示するアイコンを乗っける。細かい設定値は数字で入力する必要もあったが、基本的なことが組みあがればその手間は些細だ。
あまりになじみすぎるツールゆえ、すぐに使いこなしてコンテンツの雛形を書き上げた。

あの操作感覚は忘れられない。


残念ながら、今は日本語版が出ていない。
というか、トライブワークス社はあの後数年で日本から撤退してしまった。Mac OSが9からXに切り替わる時代の犠牲者とも言えた。まったく別物のOSになり、多言語対応に失敗したのがひとつの大きな要因だったらしい。


しかし、久しぶりに記憶の中から引っ張り出してきたのだから、と、Google画像検索から今でも使っている人はいないか探してみた。
CD-ROMコンテンツよりもインターネットコンテンツの方が面白い時代ではあるが、あのツールは、情報教育ツールとしては非常に優れている。プログラミングに対する敷居を大幅に下げることができる可能性がある。かつての自分がそうだったように。


http://www.tribalmedia.com/


行き当たったこのURLをクリックして、私は驚いた。「iShell」は……生きていた。
まだ詳しくは見ていないけれど、この会社が版権を買ったとか何かをしたのかもしれない。


http://www.tribalmedia.com/products/ishell/system_requirements.asp
しかし、最終対応OSがMac OS X 10.3.9。WindowsはXPまで。


2007年以後の更新がないようだ。
時期的に言うと、Vista・IntelMac対応のころだから、開発費がかかってしまってうまく進めることができなかったのではないかと推測したけれど。
こういうことは、ゲームマシンの新規リリースとソフトウェアメーカーの関係に少しばかり似ている気がする。
OSやゲーム機本体の進化に、ベンダーがついてゆけるか否か。さらに、ユーザがついていけるか否か。
ともあれ、マーケットに路を切り開けなかった以上、仕方がないことではあるが。


いまさら、iShellでどうこうする気はない。
でも、あれくらいに敷居が低いオーサリング環境を、各PCとMacintoshLinuxNintendo DSiiPod TouchiPad....などに添付しておいても罪にはならないような気もする。
かつて、ハイパーカードがそうだったように。
そういう、開発とサポートとユーザをつなぐ、オープンコミュニティがあってもいいのではないか。



今の情報教育環境を見ていると、与えられた中から適切なものを探し出すのに四苦八苦しているように見えて仕方がない。
そうではなく、もっと自分の目とか手足とかで見つけられたものを、形にする方向に注力してもいいはずだと思う。
環境はそろっているのに空洞化して見えるのはなぜだろう。
教えるほうの責任かもしれない。教える側が、与えられた中から適切なものを探し出すのに四苦八苦しているから、学生もそうなってしまうのかもしれない。


もっと手を使い頭を使っていい。


もっと前向きにあがいていい。


もっと恥をかいて、失敗していい。


それくらいの自由とふところがあって、いいと思う。


20代30代に決めた会社に、50代60代まで縛られるのがデフォルト?
自分の親の世代は、異常に窮屈に見える。
人生論は見習っても、職業観は引き継ぎたくないと思う。


少し、プログラミングから離れた話になった。


ひとつの電車の中でも、前の方と後ろの方では、見えるものがまったく違う。
自分がどこにいたかで、大幅に違う。
そういうことを大事にしたい。