通信ということ、情報ということ。

事実
行き違い、ディスコミュニケーションの究極のひとつが戦争であり、もうひとつが別れであるということに、昨日見た映画「母べえ」や最近の経験から、改めて思い至った。
気づき(発見)
通信とは通じると信じること。プロトコルが一致し、内容をそれにそって書き記し、それなりの規定に沿って作られたブラウザでみればHTMLファイルは記号の羅列ではなくWebページとして見られるが、同じことが人間の間にも言えるのではないだろうか。情報は、情けを持って報じることと考えれば、どのようなデータでも、ただのデータでは情報ではない。相手のためを思って……例えば見た目に配慮してレイアウトを工夫したり、視覚障害者向けに気をつけたHTMLタグの書き方を徹底したり、そういうことで、初めてデータは「情報」、気持ちを込めてお伝えするだけの内容を持つようになるんじゃないか、そんなことに気が付いた。そして、本当に価値のある情報を生み出すには、絶えず広い視野と客観的な観点への想像力が必要であり、創造力もまた必要である。優れた演劇者は自分を立てるばかりではなく共演者をも光らせ、脚本そのものの息吹をダイレクトに観客に味わわせてしまうように。
教訓
何かを伝えることは、自分のためだけではなく、相手のためでもあるように、最大限の配慮をしなければならない。
宣言
私は情けをもって報じることができる情報人です。

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