知らない作家さんが亡くなられたそうだ

氷室冴子さんが急逝なさったときのショックは、自分の中で結構尾を引いているらしい。
本屋さんで毎月の最後の6日間くらいはマンガ雑誌のコーナーへ行く。別冊花とゆめ、という雑誌がおいてあったりするから。で、そこでは、昔わりと好きだった小説の漫画化作品が、連載されているのであった。亡くなられたはずの作家さんが、現役の作家のように「原作:氷室冴子」としてクレジットされている様子は、なにかをやわらかくする。自分の中の何かを。



自分は題名と作者名とをなぜだか知っているけれど、逆にそれがゆえに下手に手を出せない小説、というのは確かに存在する。
それは、自分が住んでいる大地の隣にある、またそちらも優れた王国のようなもので。
旅行に行ってしまったら母国に戻ってこられないのではないか、そんな感覚で見つめている世界らしいのだ。
面白そうだからこそ、下手に手を出してはいけないような、でも読んでみたいような。


氷室冴子さんが「銀の海 金の大地」の結末を語れずにこの世を去ったのは、自分でも良く分かっていないショックを与えているものらしい。
たまに、脳裏をよぎる「心に金の砂を持つ」「わたしという名の王国」という名コピー(章の題名だったから、名台詞というより名コピーというのに近いだろう)が、今でも自分をどこかで支えてくれているらしいのだ。
あんな言葉を、もっともっと聴きたかった。血を吐くような物語の中で、確かに確かに、ひかるもの。


グインという名の叙事詩については、そんなわけでわたしはほとんど読んだことがない。*1


でも。大好きだった作品の書き手が、天の国に召されてしまうことについての、読者としての無念さと畏敬と感謝は、少しだけなら分かるような気がする。
きっと、たくさんの「読者」たちが涙しているだろうこの夜に。そんなことを思った。


自分ではその方の小説を読んだことがない。
そして、あまりにも面白く、あまりにも奥が深いらしいので、読むなら全巻読破したいタイプの自分にとっては日常生活の破綻を防止する方法を吟味してからでないと読めないたぐいの作品世界だという評判だけは分かるので。
きっと、これからも、読むことはないんじゃないかと思う。偉大すぎると手を出せない。
そして、未完結で終わってしまったらしい。きっと読んでしまったら、悔しさに涙を濡らす夜を過ごすことは目に見えているから、ますます手を出しにくくなってしまった。


でも、幸いなのか不幸なのか、そういう方の作品に接した人たちの、涙の意味は、少しだけ分かるかもしれないとは思ったりもした。
知らない作家さんなのに、そんなことを思ってしまった。



ご冥福をお祈りいたします。

*1:一時期、コミックフラッパーで漫画作品が連載されていて、ヒョウの頭を持つ男がものすごい存在感で画面を疾駆していたのは覚えている。こういうヒトが、こういう世界で活躍するんだ、と、感心した記憶がある。