母校が消える人生

某星州の日本人学校は別として、わたしが通学していた学校は、今はほとんど当時と同じ形では存続していない。
東京の小学校と中学校は学校改編で同じ校舎を使っていながら別の名前の学校になってしまったし、その後、中学はあの校舎から移転してしまった。
高校は中高一貫校に改組。自主自立で闊達な校風を受け継ぎつつも、やはり別の学校になりつつあるようだ。
それから、大学も……存続はしているものの、自分が卒業した学科は、近く、他の学科に吸収されることになるらしい。結構オリジナリティの高い学科だっただけに、残念で仕方がない。大学が生き残りをかけるというのは、例えばこういうことなのだ。


こうなってくると、同級生に連絡したり、恩師を捜したりするのが難しくなる。
また、なにより、さびしいものだと思う。


とくに中学は知っているヒトは知っている、かつては吹奏楽の全国的な名門校だった。でも、あの音楽室もだんだん廃墟化して行くのだろうか。
校舎はまだ残っているけれど。自分の知っている校舎はもうないのだな。


去年訪問したとき、前の職場の短大も、4年制大学になるべく大掛かりな工事をしていた。
古びた校舎はどう変わったのだろうか。自分が詰めていた研究室は残ってはいないだろうが……。


時代の流れということなのだろうけれど。本当にあの校舎は、思い出の中にしか建っていない……。


でも。
新しい時代に生まれる教育機関は、古い時代に消えて行った学校世界を受け継いでいかないで欲しい。
今の時代に必要とされる気質や雰囲気は、今の時代の教育機関自身こそが生み出していくべきモノだからだ。
さびしさを当時の卒業生たるわたしが覚えるのは当然だが……だからといって、それを今の時代の学校に押し付けるような恥ずかしいことは慎みたい。
当時を知る卒業生たちが、ときどき自分の心の中の校舎を慈しみ、そして明日の問題に立ち向かう元気をもらえれば、それだけで充分なのだから。


だからこそ、わたしは絶対に忘れない。
あの校舎たちでの、暖かい想い出を。