『るろうに剣心・伝説の最期編』

先月の前作から楽しみにしておりました。
大作にして、上下編。
もともと、リアルタイムで連載を途中まで読んでいたこともありますし。


剣劇に関しては文句無く面白かったです。
もともと私は、あまりアクション映画は得意ではないのですが、本作は別!
それは、殺陣が良かったから。剣を振り回してポーズだけ付けるような作品ではなく、剣劇の中にキャラクターが生きていて、本当に剣心が、左之助が立ち回っているような……闘っているような感じがしたからだと思います。
その意味で一番素晴らしかった敵キャラは、個人的には……志々雄真実も怖かったですが……瀬田宗次郎。闘いの中で彼のキレた眼が本当に漫画の中のあの宗次郎を体現していて。あれができる人間がいるなんて思いませんでした。自分の中の理想、モットーを根底からぶちこわされる闘い。その、壊れて行く眼をしながら、あれだけ俊速なアクションをこなし、そして剣心は答えをくれる訳ではなく。
時間的都合で、宗次郎があれだけ壊れてしまった詳しい理由についてはオミットされていますが、それでも充分に問題提起をしていたと思います。
安慈のセリフで多少フォローもありましたし。


そう……そこ、なんですね。
本作は漫画原作がある映画で。単に映画であるだけなら満足すぎるデキなんですが。
漫画では描けなかった戦艦『煉獄』を描いていますし……本当にすごいのですが。
弥彦の闘いとか、左之助と安慈の因縁とか、そういったところではどうしても足りない部分が。
なぜ四乃森蒼紫があそこまで剣心に絡まざるを得なかったのかも、もうひとつ説明不足。
ここは致し方ないところかもしれません。


アニメを見るか、原作を読んでいると、技名は言わないものの九頭龍閃や龍槌閃を使っているところが分かります。例えば、師匠・比古清十郎との命がけの稽古シーンがそうじゃないかと。福山雅治の放つ九頭龍閃が見られるのは、本作だけ!(笑)


本作でもっとも鳥肌が立ったシーンは、私はじつはアクションではなくて。
ネタバレですが。
闘いを終えた剣心以下もののふたちを迎える伊藤博文のあのシーンですね。
敬礼。
そこに、そうする事しか出来ない立場のジレンマを強く感じて。
しかし、彼らは彼らなりに誇りを持ち、国を護っていたということで……。


さて。
本作の時代背景は明治ですが、このあと、歴史は……。
戦を担うのは武士から兵士へ。2度目の世界大戦では広く徴兵もおこなわれ、一般市民も国家命令で武器を持ち、戦う事になって行きます。
そして戦後。この国は、まるで『逆刃刀』に『不殺(ころさず)』の誓いを立てた剣心のごとく、法律によって平和の誓いを立てることになるのです。……最近では、ややこの誓いも怪しくなりつつあるようで……。


『自分の目に映る人を守る』という剣心の優しいまなざし、生き方。
それは単なる甘い幻想ではなく、身命を賭して生き抜くという強いものなのです。
ある意味で、志々雄のようにチカラの原理主義に走り、戦ってしまった方が、考えなくて良いのでラクなのかもしれません。しかし、そのあり方の行き着く先は、結局は地獄しかありませんでした。アニメ版では、地獄に堕ちた志々雄一派は、それでも地獄の国盗りを始める、という演出があります。彼らに取っては今生は狭過ぎたのかもしれません。


ともかく、戦わないという事の方が本当に大変で。映画でも、狂ってしまった蒼紫を止めるためには、誰の目にも斬り捨てるしかないという危ういところを、彼は剣でいさめたのです。
そして、戦わなかった事の価値は、簡単に評価が出来ることでもなくて。
賢くなければ、平和は守れないのかもしれません。現実にも、志々雄一派のような輩はいるようですが……それに負けないために、剣心の生き方にヒントがあるような気がしてなりません。