上記2本とも、記事はITmediaさんからです。
大学内という公共のPC室に自分のデータを持ち込んで作業をする、となると、ポータブルストレージデバイスが必要になります。そういう情報生活をかれこれ10年以上続けてきているわけで……大学生のころからつなげていくと。もちろん、ノートパソコン(Mac)も持っていますが、基本的にはポータブルストレージデバイスを使いつづけています。
私にとって、初めてのポータブルストレージデバイスはフロッピーディスク。「パソコン数学」という3年生の選択数学授業でN88-BasicとC言語の入門をやった時に使っていました。かたんかた〜ん、という独特の回転音が印象的。当時は遅いとも早いとも思わず、ともかくこういうものだと思って自然に使っていました。
大学に入学してMacとPhotoshopに出会い、プログラムで数値指定で描画しない、マウスから始まるグラフィック作成を見てびっくり。
ただ、当然データ量も増えてしまうので、ヨドバシカメラさんで買ったのが230MBのMOディスク。
少人数大学にも関わらず、当時はMacもWindowsも入っていたため、自然にフォーマットの種類や使い分け方法も学んでいきました。Windowsとデータ共有するときの改行コード問題とか、Macintoshフォーマット(HFSやHFS+)のMOではWindows NTで読み込めないとか。その逆とか。FAT32でのMOの使い方とかも……MacとWindowsでデータが共有できて便利ですが、512MBの壁に注意すること*1とかも。
ただ、自分が入り浸っていたのが基本的にMac教室だったので、MOの今でいうUSBメモリのような使い方を自然に覚えていきました。POP3形式のメール送受信ソフトをMOにインストールして、大学で個人のメールを見たり。カスタムアイコンに凝って箱庭のようなフォルダを構築してみたり。ブックマークの個人持ちのやり方や漢字Talkでの初期設定ファイルの取り扱いの仕組みなども自然に指で覚えていきましたね。
サークルのポスター作成や授業課題もやりましたが、やはり、パソコンは自分の手で自分なりの課題意識を持って使わないと覚えられない。受け身ではダメなんですよね。
大学卒業後、都内の某短大のサポートに入るようになって、USBメモリからいったんは外付けハードディスクを使うようになりましたが……うっかり落下させてしまったり電源が必要だったりして。
USBメモリが登場したのは自分にとって福音でした。
当初、16MB程度のフロッピーを代用する補助的メディアとして使われていたUSBメモリでしたが、数年であっという間に大容量化を果たしていきます。今や、私が普通に使っているものでも4GB。これ、初代iBookのHDD容量と同じなんですけど……。実際、LinuxなどのフリーOSをカスタマイズしてUSBメモリから起動できるようにし、OSごとポータブル環境にして使うことも可能ではありますし(やったことはないですが)。
大容量化&低価格化が進み、パッケージソフトウェアのインストールCD-ROMの代わりにUSBメモリを添付する商品も出てきました。
そんなこんなで、大学や職場で与えられた環境下で課題作成や仕事をするのではなく、自分から環境を作ってやっていけるような状況が生まれつつあるように思います。
ストレージが低価格になるというのは、1冊100円のノートが10円でセールされるということと同じではない気がします。
意思のある人ならば、自分で情報環境を安価に構築できるようになることでもある。受け身の人との格差はますます広がっていくんだろうな、単に経済的な意味だけではなく、生き方そのものを変えることなのかもしれないな、そんな風に思えるのです。
USBメモリがMOディスクのお株を奪うようになったことは、単に記録メディアの変化だけではないと思います。
ヒトが記録メディアに要求する使い方、ヒトの情報生活スタイルそのものがより自主自立自律的になっていっているということでもある、私は今、そんな風に考えています。