『森達也のドキュメンタリーは嘘をつく』の録画を見る

日曜日はアレコレ忙しかったため、昨日放送されたこの番組は今日見ることに。
番組紹介はこちら。
http://www.tv-tokyo.co.jp/literacy/060326.html
ある程度メディアを受け入れる素養のあるヒトには何がしかのご参考になる? そうでもないでしょうか? 受け手次第ですが、ドキュメンタリー作品的なものは実は客観性ではなく作り手の主観で事象を切り取っているということは、ともすれば忘れがちなことですがね……。この手の番組・映像作品に免疫無しなので、最後のオチにはヤラレた感は否めません。まだまだ修行が足りないです。(←当たり前)かなりムカツイタのは事実です。レポーター役の女の子、最初頼りなかったのに取材を通じて成長して、自分なりに撮影してみたいとまで言い出すようになって……って感心したのに。私の感心を返せ! テレビ東京! (苦笑)


自分にとっての映像を学ぶ教材になるかと思って録画しておいたんですが、ある意味でなる、とも、ある意味でならない、とも、両方言える不可思議な番組でした。
なる、というのは、インタビューが多い番組で色々な監督・制作者の作品資料や言葉、考えが集められているし、編集手法にも痛烈な皮肉が込められていて、そういったことは分かりやすく勉強になりましたから。
ならない、というのは、いろいろな部分がフェイク*1であることが端的に物語ります。この機会にいろいろなヒトがいろいろと語ったけれど、虚実は分からない以上、結局は自分はどうなの、というのに返ってくるわけです。「華氏911」に影響されたことがある自分を振り返っておきたい気分です。アレが全て真実だったか、自分は実証せずに鵜呑みにしてしまった(当時)けれど、批判するには物差しをもっておかなければ。月並みですが。


映像ドキュメンタリーに限らず、実録系作品は全て批判的に見なければならない。
痛切に感じたのはそのことです。文学で言えばノンフィクション作品などもそうですね。漫画でもそういうのもありますね。


自分が何作か映像を作ったことがあるので分かるのですが、編集しないと使い物にならないのですよね、映像って。収録予定時間内に収める意味もありますし、その他、いろいろあって不都合は隠すわけです。素人なので技術的な失敗でウマく撮影できていない場合もありましたが、それ以上にあるのが「無意味を許さない」ことかもしれません。被写体が何かした、何かしゃべった、それが自分やテーマにとって意味を持つ場合は映像が生き残るし、その意味が伝わらないとか意味が無いと思われる場合は編集で捨てられる。結果として作品は「ある意図の元に集められた意味を持つ映像ばかり」を並べた物になる。しかし、本当は取材された側はこちらが捨てた部分に意味を強く持たせていたかもしれない。
この番組では親探しをしている自主映画青年についての扱いが結構邪険に感じられました。余りにも無意味なインタビューだった、と製作側が感じたためだったようですが。しかし、彼ももう少し突っ込んでしゃべっている部分が実はあったかもしれない。そこを使わなかっただけかもしれないし。彼の通う映画学校の先生に言われただけで、こんなプライベートなことを映像化しようと思うでしょうか? それに、そもそもあんな失礼な取材をするでしょうか? ちょっと引っかかります。映像をやっているヒトならもう少し語っていたかも……? とか、彼のことだけでアレコレ考えてしまうわけです。実のところは分かりませんし、分かる手段も無い*2ですが。


こう考えると。やっぱり、編集が入るメディアはどこかしらフィクションになるわけです。


なお、テレビ大阪での放送が29日、朝10:00から10:55です。正直、見て疲れる番組ではありますが、関西の方で映像に興味がある方は、チェックしておいてもいいかもしれませんね。

追記

制作者の村上賢司監督が、実ははてなダイアラーでした。自動トラックバックのため以下にリンクします。(怖い物知らず?)以下の記事には関係諸氏による監督推薦作品リストがあるので便利かもしれませんし、そうでもないかもしれません。
http://d.hatena.ne.jp/MURAKEN/20060326
さらに。編集の松江哲明氏もはてなダイアラーでした。自動トラックバックのため(略)。ネタバレだそうです。どう見てもとりあえずネタバレエントリであることには間違いが無さそうです。(そこまで疑心暗鬼になってドウスルノダ私)
http://d.hatena.ne.jp/matsue/20060326

*1:ネタバレですが番組の意図でそうしたそうです。

*2:そもそも、彼は実在したのか? とかも含めて。