『キャプテン翼』ネーム連載版のwebプレオープン

キャプテン翼のペン入れされたマンガとしての最終話を『キャプテン翼マガジン』でようやく読みました。
『翼』のひとつの終着点として、どこまで描くのか……おそらく、試合はまだまだ終われないんじゃないかと予想していましたが、まさしくその通りで。
というか、この場合、どこで終わらせても物語の途中でストップになっちゃうんですよね。仮に無理矢理今号でスペイン戦を終わらせても、それこそワールドユース編でのオランダ戦の二の舞みたくなってしまいかねない。
詳しくはネタバレになってしまいますのて省きますが、要はまだまだミカエルと翼のサッカーバトルは続く……ということです。
それも、今度は舞台を紙の雑誌からWebに移し、形式はネーム連載という。それがこちら。

とりあえず、プレビュー版ということらしく、翼マガジンの続きが少し載っています。
最初はネームだけって……って心配はそりゃあありました。
でも、ネーム段階で構成がしっかりしているのと、文字フォントがしっかり貼られているおかげで、ネームだけでも充分に分かるんですよね。
これまでの『翼』を読んでいれば、ペン入れされた状態が目に浮かぶようですし。やっぱり、プロだよなァってなりました。
でも。
このときのミカエルや翼を、石崎くんを、吉良監督を、ペン入れされた状態で見ることはもうないんだなァ…。
正直、ちょっとだけ、いや……かなり残念です。ネーム見るまでこんなことを思うなんて思わなかったですけど。
ただ、ネーム連載になるのも無理ないかな、とも、翼マガジンを見ていて思いました。
例えば、大ゴマでの表情はしっかり描けているんですが、引いた構図でのキャラの表情やバランスに、やはりちょっと限界を感じてしまったので……素人ながらも。
おそらくそういうことを先生ご自身が感じてないはずはないので、絵のクオリティを下げないうちに身の引き方を考えておられたのではないでしょうか。
とはいえ、です。
これまで、私が作品を追っていただけでも何人もの漫画家さんが、連載途中で亡くなられ、読者としても残念な思いをしました。
作者様の無念はいかばかりか。
それも、ネームやペン入れ中に突然の死を迎えられた、というケースもあり。
一番残念に思っているのが和田慎二先生なのですが……遺作の『傀儡師リン』は連載からほんとうに楽しみにしていて、冗談じゃなく「私たちの闘いはこれからだ!」っていっていいところで……人形たちが幸せそうなところで幕切れになっているのでなんだか複雑ですけど。あのあとは悲惨な闘いになりそうでしたし……。
なので、先生が無理をして変なところでペンを手放すよりは、鉛筆ででもできるところまででも、少しでも長く長く続きを見させていただける方が良いように思います。
それがマネタイズになるかどうかは編集部にかかっていそうですが、まあ、世界的に売れた作品ですし、二次利用の実績もたくさんありますから(アニメ化、ゲーム化など)。たとえネームでもカタチがあれば、きっと物語は先に進めるでしょうね。
それに、下手したら編集部や印刷所をお待たせしてしまう雑誌より、個人名でのWeb連載の方が、はるかにペースをコントロールしやすいのは間違いないでしょう。休載、という言葉がなくなる世界ですから。
どうかご無理なさりませんように。
それとあと。キャプテン翼マガジンの最終話で、この土壇場でさえもミカエルの深掘りがあって、ここまではやっぱりペン入れで見せたかったんだろうなァってなりました。若者よ、旅に出ようというメッセージ。こんなにド・ストレートに語れる人、意外に今いないかも……。
まだまだ終わらないキャプテン翼
読んでいない人は「まだ続いてるの?」みたいに思うんでしょうけど、この描き方をされたいならまだまだ終われないってのがホントのところでしょうね。こんな描き方はもう高橋陽一先生にしかできないです。あえてコンパクトにしない、ガッチリ大ゴマとテンポの良い見開きでみせる。アナログで引かれた線の味。
昨今の漫画は、スマホで読むことが普及したせいなのか、見開きというのがそもそも減ってきている印象があります。それはいい悪いではなく、時代という物だと思います。だからこそ、雑誌掲載時の見開きを意識したキャプテン翼のような描き方は貴重とも思うのです。これ、もうできる人があまりいないかも。
ともかく、ネームでもやっぱりわかるので。できるペースで続けていただきたいです。
人生の楽しみがひとつ増えた感があります。
がんばれ、翼くん。