トロンボニストな生き方を探す

某友人とのメール交換で浮かび上がってきたことなのですが。
私は生き方もトロンボーンらしくありたいなあって。


えっと、これだけじゃ、何のことやらだから説明しますです。


そもそもトロンボーンっていう楽器は、神様の声というような意味合いで、キリスト教会の中で使われてきた物なのだそうです。
今でいうオーケストラに入ってきたのはベートーヴェン以降ですが、それ以前の合唱伴奏の世界では、かなり古い歴史があります。
バルブ装置発明以前の金管楽器界では、音の高さを割と簡単に調整できるけれど、響きの美しさを損ねない唯一の楽器でもあったみたいですし。
(この時代のトロンボーンは、正確にはサックバットという「剣」っていう意味の名前だったみたいですよ。スライドの抜き差しが剣のように見えたからだとか。他の楽器は、ホルンは管の抜き差しをいちいちやって調整を変えていたし、トランペットっぽい楽器は管体に直接穴をあけて、今でいうサックスみたいな感じで音を変えていた……セルパンとかのたぐい……ので、音がかすれやすかったので、トロンボーン、というか、サックバットが一番便利な金管楽器だったようです)


で、そういうわけで……地味ながら声楽の世界を支えてきた訳ですよ。
でもって、オーケストラの世界でも、華やかな場面を任される反面、完全に純正和音を作れる管楽器として、和音を響かせる役割を担うことも多かった。どんな調のどんな和音でも、トロンボーン吹き4人そろえば(理論上)作れてしまうので、作曲家としても仕事を割り振りやすい訳でしょうね。


つまり、どんな相手とも、相性がいい。
でも、その割には個性的でもある(金管楽器の中で、あるいは全楽器の中で、唯一スライドシステムを採用し続けている……バルブトロンボーンはあまり使われていませんし)んです。
トロンボニストには変だけど憎めない人が多いのは、経験上事実ですが。楽器の性格のせいかもしれないですよ、ほんとに。
やろうと思えば、西洋風半音階に縛られない音律を採用している民族楽器にすら、ある程度合わせられるのですよ。半音の中に何個も音階を作っている民族もありますからねえ。西洋音楽だけに収まるものじゃないです。トロンボーンは。


そういうわけで、自分は変だけど、他の人を大事にする人間でもありたいな、本当にそう思います。合わない人に無理に合わせることはしたくはないけれど、合う人ならずっと大切にしたいなあ。


あと、バルブじゃないから、耳の良さが求められて、おおざっぱなようでいてその実厳密だ……ということもいえますよ。
トロンボニストにはまじめな人も結構いるんです。そのまじめさが、一般的な誠実さのような形になるか、たんなるオタク系に行ってしまうかは、……人それぞれですが。
1cmのスライドの差が、どれだけ気持ち悪いか……。そういう、自分の守備範囲のことに対する他人との合わせ方については、かなり厳密なんじゃないかな。
楽器の作り(与えられた仕事)はアバウトでも、厳密に自分なりに計算して結果を出せる人間が育つのも、この楽器の経験者の特徴のように思えます。逆に、トロンボニストに対してあれこれ指示を出しすぎると、スネてしまうかもしれません。自分なりの改良の余地を残してあげる指示の出し方であれば、良い仕事をする人が多いと思います。


優秀な指揮者、作曲家に案外トロンボーン経験者が多いのも、こういうバックグラウンドのせいかも?
昨日お世話になった真島俊夫先生も汐澤安彦先生も、トロンボーン経験者でおられますし。
知り合いにもトロンボーンを経由して指導者になった方がおられます。


あと、金管楽器の中では比較的構造を理解しやすく、安価で、マウスピースのサイズも人間的に一番優しい。(トランペットやホルンは、人間の唇に対して小さすぎると思うし、チューバは大きすぎると思う。ユーフォ&トロンボーンマウスピースって、金管入門としてもちょうどいいんじゃないかなあと)つまり、始めやすい=とっつきやすい。
でも、奥が深い。無視できない存在感がある。味がある。


まあ、そんな感じで、面白い人間であり続けたいなあと自分でも思った訳です。
トロンボーン吹きな生き方を目指したいと思います。