空白の焦り、2008。

セケン的には本当にいろいろなことがあったみたいなのだけれど。自分的には、そんなに大きなことはなかったんじゃないか、とか思って、この文章を書き始めている。
ただ、意識の中で大きな出来事が無かっただけで、実は結構いろいろあったのかもしれないな。
新しい環境に慣れるのに1年くらいかかってしまう自分にとって、今年は、シゴトに慣れた上で自分を出す年だったのかもしれない。2年目のシゴト。自分なりにやりはじめたこともあったし、新しいヒトとの出会いもあった。新しく入った同僚さんと気が合い、いろいろと情報交換できたことはうれしかった。前の職場では自分ひとりでシゴトをしている部分が大きかったから……。


それに、ちょっとしたきっかけで、「コピーライター養成講座」を受講し、なんとか全日程出席して、最終課題でランクインできたこともうれしかった。課題はいちおう、全部やり遂げた。いいたいことがあって、それを文章やコトバを使って、ヒトに伝えることの難しさを知ったと思う。たいていの人は、自分に無関係だったり、興味が無かったりする文章には、目を向けてはくれないのだから。その人にとって、ノー眼中な広告はゼロと同じである。だから、商品や広告を作るヒトは、あーだこーだアイデアをひねる。ノー眼中から0.1眼中にでも格上げされれば、あとは瞬間勝負。読んでくれるかどうかだ。
ただ、まったく無関心なヒトを振り向かせるのは無茶苦茶難しいから、ターゲットというのを考える。誰宛にこの言葉を投げるのかを。極端な話、日本語で書かれたキャッチコピーで全人類がターゲットだなんてありえないから……。日本語が読めるヒト、多くの場合は日本人がターゲットだ、この場合は。日本語を使うだけでそうなのだから、もっと届いて欲しいヒト向けの言葉を絞り込む。若い人向け、ご年配向け、性別、収入、趣味……マーケティングとかを学べばもっとたくさんのことが出てくるだろうけれど。
ともかく、自分が何かを書くとか作るとかするとき、必ず届けなくてはいけない人がいるということを、もっとそしゃくしなくてはいけないだろうな。


吹奏楽をしなくては生きて行けないという自分を無視すること、いい加減にやめようとも思う。


もっといろいろな写真や映像だって撮影したいし。パノラマ写真とか楽しそうなんだよなあ。
それに、曲だって作りたいしな。
この間の日曜日に、数年ぶりに泳ぎに行ってみたら、結構泳げたし水中ウォーキングも楽しいので、水泳は続けたいし。


シゴトじゃかなえられないいろいろなことをやりたい自分の比率も大きい。
日本経済の世界の中で生きて行くということを考えたとき、それなりにお金をもらっておかないといけないので、それなりに働いて、ヒトの役に立っておきたい。社会の中の人としてそれなりの働きをしておきたいし、自分の力で役に立って報酬をいただけるというのは、本当に大切なことだ。


でも、シゴト時間以外にやりたいことも沢山あって、まだ、どれがいちばんだとかそういうのは、固めきれない。
何かを得るためには何かを捨てなくてはいけないのだけれど。それができるかできないかでうだうだしているうちに、20代は過ぎ、30の1年目も過ぎてしまった。


なんか、空白の焦りがあるんだよね。
10代の頃、大学に入った頃から、つかめなくてつかめそうな何かを求めて、焦り続けている。
成果物といえそうなものは結構少なくて、それがいけないのかもしれないけれど。でも、成果物を作ったときはうれしいけれど、足りないものも見えてしまうので、作ったからって解決にはならないんだよね。


ご飯を食べれば、おなかはそれなりにいっぱいになるけれど。
野心がお腹いっぱいになるのは、難しいのかもしれない。


だからだろうか。
柱を立てて、それに向かって一生懸命に走れるヒトを尊敬してしまう。
2008年はスポーツ界にたくさんのヒロイン・ヒーローが生まれたみたいだったし。引退したり亡くなられたヒトもたくさんいた。でも、みんな、輝いて見えるんだ。


ただ、人間として、最低限立てておかなくっちゃいけない柱ってあってね。
それは呼吸すること。心臓を動かすこと。止まらなくちゃいけなくなったときまで動かすこと。
自分の骨は自分では拾えない。だから、精一杯に生きることが本当に大切なんだ。
今年の末、自分よりひとまわり若い、幼なじみのようないとこが亡くなられて、そのご遺骨を拾わせていただいた。箸ではさんだソレは重たかった。骨のかけらであって、身ではないし、肉の体はもうないというのに。入院中、一度も会いに行ってあげなかった。それも悔やまれることだけれど、何より、あの彼が死んでしまうことがあるんだということが良く分からなかったんだ。
誰かの骨を拾わせていただくこと自体が始めての経験だったから。友達や知人のお通夜には何度か足を運んだけれど……。
お葬式は、長いようであっという間に終わってしまい、彼がいない日本が残された。しばらく会っていないヒトだったけれど、本当に会えなくなってしまった。


そういうことなんだ。
亡くなってしまったら、生きて行けないこと。当たり前すぎる?
でも、普段はそういうことを無視していたから。知らないふりをしていたから。


2009年はどんな年になるか分からない。
経済不況は続いているし、世の中の空気も殺伐としている。そういうことも自分の人生に大いに関係がある。
世界はどんどん小さくなって行く。インターネットの進歩で、また新しい何かがあるかもしれない。


ただ、結局、自分という軸を原点Oにして行くこと。自己中という意味ではなくて、自分の尺度や価値観を大切にすること、やりたいことをやってみることに変な躊躇をしないこと(もうそろそろ、そんな余裕も無くなって来たし)。
ひとつひとつ、こつこつと。これ、大切な友人のクチグセなんだけど、本当に見習いたいものだ。
ひとつひとつ、こつこつと、こつこつと。



2009年も、よろしくお願いいたします。


……最後に、2008年ウインターシーズンカードとしてポストカードデザインしたイラストを掲載します。この絵柄で何人かの友人には冬のお手紙や年賀状をお送りしましたから。

冬の楽しみといわれる、雪だるま+ねこ+こたつ+みかん。全部寄せ集めたら微妙に楽しくないような……?
でも、大変な時代だから、季節を楽しみたいものですね。そういうメッセージを込めてお贈りします。
みなさまがよい年を迎えられますように!