メトロノーム状態でも、足元は一か所ということ

ぶれない―骨太に、自分を耕す方法

ぶれない―骨太に、自分を耕す方法

タイトルに惹かれて図書館で借りていました。ひとつの生き方についての本です。
正直、根性論のように思える部分も多々ありましたが、挑戦する気持ちが戻ってくる感じも受けました。


読み終えて思い浮かべたのは、音楽家必携アイテムのメトロノーム。電子式じゃなくて振り子式のヤツです。
あれ、ねじが持つ限りはずーっと左右にぶれてぶれてぶれまくっていますが、足元の軸は一か所ですよね。それに、おもりの位置で変えられるとはいえ、その時その時の振れ幅も一定です。


ぶれているばかりで自分の進路目標を見出せない、そうばかり思っていましたが、実は自分であること自体は変わっていない。メトロノームのように、ある地点を基準として左右に振れているだけで、変わらないところは変わらないし変えられない。
そのことに改めて気がつきました。


つまり、無理に「カタチ」や「アカシ」を求めなくても、「自分の世界」というヤツはとっくの昔に持っているということです。


それから、今の自分は、過去の学習で身に付けた知識や知恵を食いつぶして生きていることにも気がつかされました。


パソコンに適性があること自体は喜んでいいことですが、20代のころのように、無我夢中で楽しんで勉強していないのも事実です。
あの頃は、新しい技術や概念がどんどん出てきてそれらの一つ一つが革命的でまた思想にも裏打ちされている……ように思えて、本当に夢中でした。USBやIEEE1394規格の誕生、iMacMac OS Xの誕生、インターネットの常時接続が家庭にも入り(ADSL,FTTH)、Web 2.0のように草の根でもすごいことができる未来感覚……誰でも手軽で簡単にWebや機器を使いこなせるようになってきて、世界が一つになった気がした。


でも、本当の問題として、自分ができること、人のためにできることを広げることをしなかった。だから、今の自分は……人生があまり面白くない。それに世界がひとつになると思ったのは幻想であり楽観的な未来予想図に過ぎなかった。
……というより、世界が変われば自分の人生も面白くなるだろうと考えていた。


逆ですよね。自分の人生を面白くするのは、自分だけです。その結果、世界の面白さに気が付き、平和に貢献できる。


具体的には。風邪を治しながらも、少しずつ自分の部屋のものを捨てて、所有物を必要なものだけにしたい。
持っているものがシンプルなら、簡単に動くこともできる。
旅行先では創作活動がはかどるのは、最低限のものしか持っていかないからですね。


そういうことを改めて考え、決意しました。
平山先生のような画家とか、すごい人物になりたいわけではないけれど、シンプルに、骨を太く生きられる環境を作ることは、いまの自分にとって、いちばん優先しなくてはいけないことなのですね。