憎しみは憎しみしか生まない

進撃の巨人』総集編映画版。
昨日、見てきました。

放送したのをベースにまとめなおしたんでしょうね。各シーンに既視感はありましたが、やはり映画館の大画面、満席に近い観客と共に観るのは違いました。
コミックスと特に違うのは、最後の方のアルミンとエレンの対話かな。
コミックスではこんなに長台詞ではありませんでしたし、エレンがもたらした被害の具体的な数値について「なんてことを!」と嘆くセリフはありません。こんなことになってしまったのは、チカラを持ってしまったのがただのバカだったから、と、自嘲するシーンも、そして地獄での再会を誓うシーンもなし。エレンが血の海から拾い上げるのが人の骨と歯と髪の毛だったのに対し、アルミンがあの巻き貝の殻だったっていうのもアニメオリジナルのようです。
アルミンはあくまでも理解と対話を諦めなかった。
でも考えてみれば、彼もまた死に急ぎ野郎です。エレンほどの短絡さはありませんが、誰かのために自分を犠牲にしようとするシーンがいくつあったことか。ラガコ村でコニーの母に食われそうになるシーンとか。超序盤でミカサに装備を託して自分は刃のかけらで自決しようとするとか。戦後はアニと世界の未来のために、もう少し命を大切にしてほしい物ですが。
ともあれ、理解と対話が現実にもキーワードになると私は思います。米国大統領選挙の大勢が判明しましたが、トランプさんはどうも対立を煽って自分の利益を得るところがあるようで、心配です。
対立させるということは、相互の理解を求めないということ。
そして、究極の対立は戦争です。
進撃、ではありませんが、げんじつでも千人万人殺してでも自分たちが正しいという究極のエゴイズムが何度も発動しました。エゴだから平気で核兵器なんか作ったり撃ったりしました。
この地球のことも、相手のことも、知ったことじゃないからですよね。自分たちが良ければそれでいい。
ふざけんな。ふざけんな。
結果として世界の人類の8割を虐殺したエレン。世界を平らにして自由を得て、その光景に一瞬の満足を得たけれど、結局は後悔しかありませんでしたよね。これしか選択肢がなかったのは、自分がバカだったからだと。
ハンジさんはエレンに道を示せなかったと言っていましたが、虐殺はダメだというのが彼女の結論。
幻視シーンでもあったように、ミカサとエレンで逃げ出す選択肢もありましたが、それでは巨人のチカラがこの世から消滅しない。始祖ユミルが救われない。
最終的には、エレンをミカサが斬ることで、巨人のチカラを滅ぼすことができました。
彼が昔、誓った「駆逐してやる! 1匹残らず!」という宣言は、皮肉にも彼の死によって果たされたのです。始祖の巨人としての彼の死で。
そしてこれは、始祖ユミルの救いにもつながりました。
愛している相手が誤ってしまったら、止めるのはさだめです。
フリッツ王も誤っていました。だから、もう従わなくていいんですよね。
というわけで、巨人は消滅。
海外とパラディ島の関係修復は道半ば。
その後はエンディングの早回しの演出によれば、都市の発展もありましたが結局は戦争がまた起き、パラディ島は壊滅してしまう様子。エレンとアルミンがしてくれたことも、歴史の1ページに過ぎなかった。人類は争いから離れられない。

戦えば虐殺になる。
しかし。そんな時でも。
対話を諦めるのはダメなんです。
また人類の8割を無惨に失うことがないように。