『銀の海 金の大地』の最大のナゾは解けず、でも。

上記で書いた『銀金』復刊。つまり下記のこれ。

ひっさしぶりに氷室冴子先生のことを調べたくなってしまい(実際、知ってるのって『小説ジュニア』っていう雑誌『コバルト』の前身雑誌の頃にデビューされてからの、コバルト系を中心に若者向けのエンタメで大大大活躍されてたことと、何故かジブリでアニメ1本の原作してたことくらいしか。改めて考えたら何者とかってのは知らないかも)。
いろいろ検索したら電子書籍で下記の本が読めるのを発見。嵯峨 景子さんの『氷室冴子とその時代 増補版』だって。
あの大作家さんお一人の作家としての人生を綿密に辿られるってんで、大変に長い長い長いお話ではあったんですが、夢中になって一晩プラス朝で読み終わっちまいました。
コバルト出身の作家さんで、コバルトでご活躍後に一般文芸で活躍された/されている作家さんは何人か思い浮かびます。
氷室冴子先生の場合、そうなりきれなかった事情とか……なんというか、タイミングというか。
あと、少女小説家は文芸の世界では軽く見られがちだったっていう時代背景とか。
で、本書を読破した最大の動機は、もしかしたら『銀の海 銀の大地』が『真秀の章』で終わってしまった事情が少しはわかるかもしれない、という期待でした。
というのも。
詳しくは現在刊行スタート中の新装版の『銀の海 金の大地』の、おそらく2025年11月20日前後に発売されるであろう11巻目に、おそらくおそらく収録されるであろう当時のあとがきに、きっと書いてあるだろう、あのひとこと。
(佐保彦の章が始まったら)「ノンストップで駆け抜けます」
これ。氷室冴子先生の気合いのひとこと!
あと、当時の、『佐保彦の章』第1回が掲載される予定号だった雑誌Cobaltの表紙が、めっちゃイケメンの佐保彦さんだったこと。もちろんイラストは飯田晴子先生の手によるもの。
だというのに表紙にズラッと並べられた収録作品名に『銀の海 金の大地』がない。あれってなって雑誌を開いたら「休載」って。
おーい! 氷室先生!
なんで? どして?
とりあえず雑誌は買ったものの、あの時は「まー、連載開始するときにヒドイ風邪とかって、人間なら誰でもあるだろし、数ヶ月待てば多分再開するでしょ、氷室先生は始まったらノンストップって言ってくれてるんだし、雑誌Cobalt毎号買って他の先生の読みつつ銀金ヨコクは見逃さないよーにせんとなー」くらいにしか思ってなかったです。
まさか、あのまま、自分があの、銀に輝きたる息長や金の大地たる佐保の世界に行けなくなってしまうことになるとは思いもしませんでした。
で、それから何年もしてから氷室先生がご病気で亡くなられたとわかり、やっぱり当時からどこか悪くされてきたんだろうなぁ、って勝手に思ってたんです。
クリエイターって大変なお仕事だから。色々あるんだろうなって。
でも、山内直美先生が『なんて素敵にジャパネスク 人妻編』、『月の輝く頃に』とか、正確には氷室冴子先生原作ってわけじゃないですが『おちくぼ』をマンガ化して、氷室ワールドの広がりを目で楽しませてくださって。
やっぱり少女小説&漫画版の平安時代の話って楽しいってのは思ってたんですが。
やっぱり歳月ってザンコクで。
あんなに感動した自分なのに、ジャパネスクや銀金の世界を忘れて幾星霜。
今年の正月のことだったと思う。時間を持て余した元日の午後。たしか。
ほんとーになんとなーーく、深い理由なーーーく、「そういや今コバルト文庫ってどーなってるんだっけ?????」ってなって公式サイト検索したら「銀金復刊」。
はい?
なんで今頃?
ってか、オレンジ文庫ってなに?
今のコバルト編集部ってあおじゃなくてだいだい色なの?
ってツッコむところ違うだろと自分でも思いつつ、まあかつても版元を変えたとはいえ『グラスハート』新装版があったりしたから(あれもすごかったー!)、コバルトでの作品がリバイバルするチャンスがあればそりゃ読みたいよなって気持ちは自分の中にあったのを実感しつつ。
で、新装版がちゃんとポシャることなく発売されて。
集英社さんを信用してないわけじゃなくて、今まであんまりにも長年動きがなかったんだから、そりゃ半信半疑にもなるって!)
ちゃんとウチにお届けいただいて(某azな通販利用)。
それでも信じられなくて、昨日の土曜日の昼下がりに、とある行きつけの大きな書店に見に行ったりして(新刊文庫コーナーに平積み! 氷室冴子先生作品としちゃ何年振りだよっ!)。
いや、世の中にちゃんと『銀金』出たんだなーーって、やっと安心しましたよ。
でも……そう。それでドトーのように思い出したのが、この作品の顛末。
半分忘れた話の流れは新装版で確かめるからともかくとして、あれだけ本人はがっつり書くし、編集部さんも載せるし、ってシチュエーションはこれ以上ないくらいに整っていたであろうに、なんでCobaltに「佐保彦の章 第1回」が載れなかったのか!
当時からよくわかんなかったんですよ。この事情。
その手がかりがあるかなーって、冒頭の本を拝読させていただきました。
一晩、本当に作家って、大変なんだなーってなりながら。まさかこういう本で自分が泣くとは思わなかったけど。
でも……。結論からいうと、これだけ氷室冴子先生に詳しく、がっつり綿密に取材もされた方でも、Cobaltに「佐保彦の章 第1回」が載れなかった正確な原因はおわかりになれなかったらしい。
この本は2023年の増補版となってて、その加筆作業で、コバルトの編集さんにも取材されたそうなので、つまりは先生が亡くなられた後に取材していらっしゃるんですけど。それでも分からなかったと。
また、本書のご指摘によれば、あのあと旧作リメイクなどをたくさんされていたので、ご病気とかで書けなかったわけではなく、もちろんコバルト編集部でも書いて欲しいってことだったみたいですし。
先生的にはずーっとあっためてて書きたかった佐保彦の章なわけですから、書きたくなくなったとかも、まずないでしょう。
しかし、今までずっとずっと書きたすぎたばっかりに、逆になぜか書けなくなっちゃうことなら、あり得るかもしれないなーっては、自分としては思いました。
スランプというか、今でいうイップスというか。プロ野球の超絶完璧絶好調なピッチャーさんが、どういうわけか急にストライクが入らなくなってしまう、とかいうナゾの症状。あれ。あれが『銀金』限定で出てしまったのでは?
でもそれもわたしの想像でしかなく。
つまり謎はナゾのままになってしまいました。
確かに、銀金ストップのあとに、氷室先生の旧作リメイク刊行があったんですよね。私のキオクでも。
あの動きを見ながら、銀金はいつかなー? ってなってたのを覚えています。新装版のジャパネスク、瑠璃姫が表紙の書影で、現代的で可愛くていいなってなったりとかあったと思う。
で。
「めっちゃいっぱい頑張って調べたけど、銀金ストップの原因はわからなかった(私の意訳)」との今回の氷室先生研究者さんの、全力のプロの証言を受けて。
まあ、やっぱり、なんというかね。
仕事とか、やりたいこととかって、出来るときに、その時の自分の全力でもって、ちゃんとやらなきゃ、絶対に後で悔しいよ!
っていうのが教訓です。
佐保彦の章が出なかった理由は、単なる一読者の自分には分からない。
でも、あのプロ中のプロの氷室冴子先生がぜーったいに書きたかったはずの、氷室版佐保彦の生き様を、書くことができなくなった。
今でも信じられないけど、そんなことがありうるんだと。
これが作家として悔しくならないわけないもん。
その原因こそ分からないけど。あの時は、ほんとにどうしようもなかったんでしょうね。本当に。
晩年の手塚治虫先生が「アイデアはバーゲンセール出来るくらいたくさんあるんだ!」とかっておっしゃってたこととか、和田慎二先生が『傀儡師リン』の最終章のネーム中に倒れられて亡くなられたこととか、色々思い出してしまいます。
だからこそ、氷室先生はじめ、プロの作家さんが、全力で描けるときにお創りになられた作品は、読者として受け止めなくちゃいけないよな、と、改めて思った次第です。
それに、その作品たちが、自分がある時代に生きていたからこそ知ることができたようなものなら、せめて次の世代の誰かに「この作品、めっっっっちゃオモロいよ! 泣けるよ! 笑えるよ! 学べるよっ! ヤバいよっ!」って伝えさせてもらわなきゃなーーって。
そんなことを思った日曜の朝でございました。
まずは、『銀金』を11巻まで受け止めます! コバルト編集部さん、作画の飯田晴子先生、解説される皆さん、がんばってくださいっ!

追記。
久しぶりにリアル書店に行って、初めてのオレンジ文庫のコーナーを見ていたら、竹岡葉月先生など、自分が雑誌コバルトを読んでいた頃にノベル大賞を受けられた先生たちがまだまだ現役で本を書かれているのを発見。
ちょっと状況をちゃんと調べます!
紙の雑誌としては無くなったコバルトですが、コバルトイズムは永遠だーっ!
あと、棚をしげしげながめてたら、映画原作からの小説版の『【推しの子】』がオレンジ文庫刊だったとは。昔のコバルトピンキーシリーズみたいだなとか思いつつこれは買いました。なんか前に一瞬だけ書棚で見かけたキオクはあるんですが、あの時は本命の用事を済ませて10分後にもう一度その棚に行ったらもうなくて。映像化作品特集コーナーにあったので版元とかわからなかったんですよね。
リアル書店はこれだから面白い。