『おにいさまへ…』のアニメ版

私がよく使っている『dアニメストア』はアニメの最新作だけではなく、過去の名作もかなり配信しているサブスクです。
『ベルばら』は、あるのかな…と思ってたら一緒に見つけたのが『おにいさまへ…』のアニメ版!
これ、アニメになってたのですねぇ。高校か大学の頃に文庫版で読んだ記憶があります。意外な発見に驚きつつ、この頃ちょいちょい観ていて、ようやく完走したところです。話が濃くて濃くて大変でした!
製作年代は1991年。初代セーラームーンの1年前だから、『きんぎょ注意報!』と同年。でも漫画版の方は1974年の作品なので、このアニメ版の時でさえすでに少女漫画界のレジェンド作品扱いされていたのではないかと思います。というか、なんでアニメ化できたのか今となっては不思議。制作は手塚プロダクションですし、監督はあの出崎統様。音楽が羽田健太郎先生! いやはやすごいわ。放送はNHK BS2だったようで、色々と大人な実験作品だったんでしょうか。
作中では1970年代だったため、アニメ化にあたり生活感を1990年代に合わせていますね。例えば自動改札があったり、家電話がコードレスで子機もあったり。しかし、ソロリティの事情とかの原作の要素はそのまま。このギャップには違和感があるかと思ったら、逆に青蘭学園やソロリティの伝統の重さに厚みを増す印象になりました。
ただ、その分でかソロリティの上級生の皆様は女子大生にしか見えなくて。タバコとかワインとか嗜まれてますし。キミたち未成年者ですよね????
あと辺見お兄様はワープロを愛用されていますが、ちょっとしたレトロPCに今となると見えてしまうという。やたらゴツい感じの。
さて、あの文庫版3冊分で、3クール(全39回)分も作れるのかと思いましたら、これが話が濃いのなんの。残り時間を確認してまだAパートの途中!? って何度もなりました。普通のアニメの倍の濃さを感じたのかもしれません。実際、原作のエピソードからの話のふくらませ方がハンパなくて。
特に最終回にて宮様とサン・ジュスト様が幻の対話をするシーンなんか、私の記憶が正しければ絶対に原作に無かったと思うのですが、これがなかったら宮様は救われなかった。妹の死の責任をずっと背負い続けて、前を向けないでいたのではないでしょうか。でも、たしかに妹への接し方での責任を負うのは当然のことですが、自責のあまり誇りまで捨ててしまったらサン・ジュスト様は悲しまれるでしょう。
こうした、いわゆる『良改変』が毎回毎回てんこ盛りで、原作付きアニメのひとつの完成形として素晴らしいと思いました。アニメオリジナル要素で嫌だったものがあまり思いつかない。先程も書きましたけど、お姉様たちが大人っぽすぎるのがちょっと気になったくらいですね。まあ、原作でも同じだったような気もするので、あるいは忠実とも言えるかもです。
その意味では美咲さんとマリ子さんの熱い関係もアリだなあと。単純にイヤなクラスメートなだけだったら、カッターナイフで襲うまで至らなかったかも。嫌いになりきれない人だったからブチ切れてしまった、というのは、キャラクターの行動の説得力を大幅に増したと思いました。まあ、いささかスポ根っぽくてくどかった気もするのですが、話のベクトルとしては面白いものでした。
ただ、全体を通して少し気になったこと。これは原作にもあった要素ではありますし時代性もあるとは思うのですが(セーラームーンウテナ以前のアニメ化)。学生時代の同性の先輩への憧れはいくら本気でも本物の恋愛ではなく、恋愛はもう少し大人になってから歳上の男性とするもの、という哲学のようなものがそこかしこに見て取れました。先程触れた、最終回での幻のサン・ジュスト様と宮様の邂逅もそうなんです。宮様は妹にあなたは本物の恋愛をせずに死んでしまった。男の人を好きになったらどうなったか的な空想に浸るのですね。うーむ。サン・ジュスト様は本当に宮様を愛したと思うのですが(ソロリティ廃止活動に協力したのもそのため)。それを否定はしていないにせよ、むしろ分かっていてなおそう考えてしまうところに、納得し切れないものを微妙に感じてしまいました。大人になってからの男女の恋愛と同じくらい、むしろ打算なく純粋であるが故にそれ以上につらい恋だったと思うのですよね……。この歳の、この時にしかできないような。少し残念であったかなと。前述のように、宮様に前を向かせてくれたこのシーン自体は好きなんですが、それ故に考えさせられました。
こう、苦悩に満ちた作中での一服の清涼剤のような存在が主人公の親友である智子さん。彼女が出てきてくれるだけで視聴者としてどれだけ安心できたことか。口調こそは江戸っ子ですが、ドロッドロで不健康な思考回路のキャラクターばかりの中で貴重な常識人。キミがいなかったら、下手したら青蘭学園が崩壊していたのでは? とも思います。宮様と智子が話すシーンこそほとんどないですが、ああいう一般生徒目線がなかったらソロリティ廃止を冷静に決断できなかったのではないか? あのラストミーティングの時も現場にいましたし。それでなくともマリ子さんも菜々子さんも、相当、救われていましたね。
さて、サン・ジュスト様の死因と薫の君の行く末が改変されていました。これは本当に救いのあるものでした。考えるに、1970年代と1990年代とで、少女漫画に求められるものがかなり変わってきたのかな、とも思えます。悲劇じゃなくてもじっくり考えさせるドラマは作れる。それだけシナリオ技法や受け手の感受性が豊かになってきたのではないかと。本作は、漫画原作が無かったら成立しなかったのはもちろんです。しかし、全体的には私はアニメ版の方が救いが多く、より好きだと思いました。
ホントに3クール完走は大変だったのですが、話のドロドロさがここまで振り切れてると毎回クセになってしまい「明日はお仕事! 今日はここまで!」と思い切るのが大変でした。ホントに濃いお話で、完走できて幸せです。
またそのうち、時間を見つけて古典的作品を発掘してみたいものですね。サブスクシステムには大感謝!