プリンセッション・オーケストラ 第23話 もっと高く

コレどう受け止めていいものやらだから平たく書いてしまおう。
なっちパイセンたちのおかげでプリンセスはバンド・スナッチに勝てましたが、アニソン界の女帝に最後とEDを持っていかれました!
そうとしかいえない。
そして最後はシンフォギアじゃん……真っ黒エンドロールで水樹奈々様といえば。
こんなのニチアサで浴びてしまった令和のちびっ子たちの未来が心配になります。もう二次元街道まっしぐらになるしかないのでは。。。。しかも話数はまだ23話だし、ニチアサのキッズアニメって1年間(50話くらい?)やるんだよね? てっきり、バンド・スナッチとまだまだやり合うんだと思っていたのに!
アイツら、セーラームーンのダークキングダムとは違って、命まではとろうとしない紳士的な奴らだったんだよな。人間のエナジー(つまりミューチカラ)は心底狙いまくっていましたが。
ともかく。手段はともかく、バンド・スナッチが本当は何をしたかったのかは、コレから明らかになるようです。なにしろ、プリンセス三人衆としては、降りかかる火の粉をみんなのためにも振り払いまくっていただけで、バンド・スナッチがなーんにもしてこなければ戦う理由なんかゼロでしたから。3人とも戦いたいわけじゃなくて戦わざるを得なかっただけ。平和ならそれが一番で料理なり歌やライブなりを楽しんでいればそれで満足な子達ですからねぇ。
そんなみんなの前に赤の女王様がご降臨なされた。
どうも、視聴者目線からは赤の女王がプリンセスが戦うしかない状況を作っていたというか、バンド・スナッチにプリンセスを育成させたようにしか思えないんですが……。彼ら盟友を使い捨ててまで、いったい何を望むんでしょうか? それに、こういう重要な場に、戦士だけでなく一般人代表のなっちも立ち会っている、というのも新しいところです。
女王陛下は何をお望みなのか? それは次回以降に!

さて、中盤のクライマックスという感じの本作ですが。
本作の側面として気になるのは、コレは『神椿市建設中。』でも感じたことなのですが、「歌うことは戦闘力になる」という表現です。
神椿市なんかはマジでそうで、テセラクターっていうモンスターが出て来るのですが、彼らは絶望しまくった人間の成れの果てです。それをバトルでHPを削りまくったあとで、「魔女の娘」による「浄化の歌」で消滅させるという流れになっています。
シンフォギア』も歌でボルテージあげて戦っていたわけです。『マクロスF』も似ているところがありましたし、それで思い出した(制作スタジオと監督さんが同じ人なので)『AKB0048』でもAKB48グループと根っこからタイアップしたとはいえ、やっていたことの根本的なところは同じ。
彼女たちは歌(芸能)のチカラで心を高めて闘ってきた。そして、そのチカラを高めるには、時には応援してくれるファンの皆さんの声も必要だった。そうした昔からの普遍的な芸術文化のパワーが世界を平和にする、というようなことが、なんか最近改めていろんな作品で語られている気がしてなりません。
この辺が、自分の修行で強くなること自体が目的の『ドラゴンボール』とは全然違うところなんだよなぁ。別に悟空は誰にも応援されなくても修行しちゃうだろうと。
じゃなくて「強くなるのは何のために」ということのスタンスが違うかなと。
悟空がいるから世界が危機にさらされる、ということも作中で指摘されちゃってますしね…。ドラゴンボールは面白いしアニメ版でのバトルの表現はもう限界突破していますが、それでも好きになりきれないのはこの辺かもしれない。
プリオケや神椿市のような歌の力で……というのは、何も、歌う本人の力だけで悪に勝つというような流れにはなりません。応援するみんながいてそれでより輝くということ(特に今週のプリオケはそれそのものだった!)がよく語られます。
神椿市も、アニメ版第10話で現実世界の観測者たちからフラグメントをもらってソフィアが動いたというのがありました。
これは『推し』文化とも通じるところがあると思います。応援することで主人公と一緒に戦う、参加できる側面というか。そういえば最近は時々「応援上映」っていうのもありますね。映画館で公式にやったりもしますが、カラオケ借りてBlue-rayとか配信を大画面に映して気心の知れた少人数で、っていうのもあります。
ともかく、現代のヒーロー(ヒロイン)は孤独ではない。一人で勝手に世界を守って散るわけじゃない。
この辺りが面白いところだなあと改めて思いました。
みんなはヒーローにはなれなくても、ヒーローを応援する人にはなりたいしなれるんだよな。まあある意味では自分勝手かもしれないけど、それでも。