時間と命を天秤に。

JR福知山線脱線事故に思うこと。
午前中テレビを見ていたら、あの事故でレスキュー隊が来る前に近所の工場の方が、総出で救出作業に当たったという話をやっていました。レスキューが来る前の初期救助をしていた人たちがいたというのは知りませんでした。確かに、事故当日の映像では、消防らしからぬ服装の方々も救助に当たられていましたね。例えばこの写真……。

レスキュー隊の人たちはオレンジ色の服を着ていますが、薄いブルーグリーンの作業服の方々は近所の工場の方々です。衝突の音と煙に驚いて、外を確認した工員さんの報告を受け、社長さん自ら決断して工場の操業をいったん中断、指示を与え、そして全員総出で助けにいったとか。本当に頭が下がります。彼らの冷静かつ情熱的な決断と実行力に。
(もっとも、このニュースでは続きでJRの姿勢を批判していましたが、命を助けたことを称賛するのは良いですけど、それをJR批判の種にしてしまうのはかなり筋が違っていると思いましたけれども)
職場が工場である事が役立ち、ガソリンの臭いがすることから消火器を持ち込み、また様々な工具などを使って救助に当たられたそうです。冷静で的確な判断ですね。


命が消えて行く現場を目の当たりにした彼らにも、PTSDのような症状があるようで、何らかの形で心理的ケアの公的フォローがあると良いな、と思いました。
きっと、彼らが駆けつけなかったら、さらに何人かの人が亡くなられたり、症状が悪化していたりしたでしょう。
法律的、システム的な想定の範囲外かもしれませんが、彼らにも何かしらのフォローがあるべきだと思います。(実際、どうなっているかは分かりませんが)彼らは、消えるかもしれない命達に向けて、精いっぱいに手を差し伸べ続けてくださったのですから。


それにしても、この事故はスピードの出しすぎが大きな原因の一つであるという説が有力ですが、日本人の時間感覚が分刻みになったのはいつからなんでしょう?
江戸時代には、日の出と日の入りを基準にした時間制度を使っていたから、分単位なんてほとんどありえなかったと思われます。
明治の頃になって、時間制度も西洋式になり、分、秒、時間、が使われるようになり。
戦後、腕時計が一般化し、ますます時間が身近になりました。かつてお寺の鐘の音を聞かなければ分からなかった時刻が、今やポケットの中や腕で分かるようになったのですね。
ちなみに、シチズンの腕時計の歴史とか……。

セイコーから「時の記念日」について。

時の記念日が制定された大正時代には、日本人の時間感覚を欧米並にしたいという意図だったようですが、今や日本人の時間感覚は欧米人以上です。ちょっと行き過ぎなんです!


時を急ぐあまり、時を失ってしまった事故。
適正な運行を求めるというとき、命と時間だったら命が優先なのは、誰にでも分かり切ったこと……だと思っていましたが。
いまの世の中は、命を譲歩しても時間を優先して、動いていることばかりです。
たとえば、このインターネット……というか、ブログだって。
適正に使わなければ、運動不足や肩凝り、視力低下など、命に関わるもの、健全な生命の一部が削られてしまいかねないでしょう。
いつのまにか、私たちは、命を譲歩しなければ生きて行けないという矛盾にはまりこんでしまいましたね。時間をかけることで命を伸ばすという方法もあるのに。(具体的には漢方や太極拳スローフードなどですが)


この事故が問いかけているものは、時間と命を天秤にかけている現代社会のありよう、そのものだと思います。
JRだけが悪いのではないとか、安全神話の崩壊とか、そういうことがいいたいのではないのです。
自分自身の、一人ひとりの時間感覚が、誰から与えられ、どのようにして自分の中に育って行ったのか、そして、いま、1分や1秒に対して、どのように思っているのか。それをじっくりと考えるべきだと思っているのです。
運転手さんが命掛けで守ろうとした1分30秒の約束。
彼にとっての、そして、公共交通機関の運転手という人たちが守ろうとし続けていることは、本当に命を譲歩しなければならない程のものですか?
電車は遅れることもある。そして遅れたときは電車に文句をいうより、むしろ何か事情があっても無事にその駅まで送ってくれた、運転手さんたちの精神と技術に感謝するべきかもしれません。こんな当たり前のことすら、私はこの事故があるまで忘れていました。
電車を遅らせる勇気に感謝したい。そのゆとりを持ち続けたいと思っています。地球がひっくり返っても私自身には出来そうもない、「公共交通機関の運転」という重責を担い続ける彼と彼女らに対して。

追記(2005-05-02)

過密とされている福知山線ダイヤについて、過密なのかどうか検証した記事。福知山線単一の発車間隔は過密ではなく、他の電車との乗り継ぎのために複雑なダイヤを組んでいるそうです。鉄道各社には何かあってもそれなりに遅延回復して時間通りに動かすことができ、安全なダイヤを設計して戴きたいと思いました。

事故にあわれたハンドルネーム「イオ子」さんのブログ。状況が生々しく伝わってきます。4両目の最前方に立っておられたそうです。どうか、ご自愛を。この次の日の記事に、誰もいない福知山線の駅ホームを外から撮った写真があるのですが、日常を停止した非日常性が伝わってくるようです。

毎日新聞の記者の方がたまたま1両目に乗車して、奇跡的に助かりました。
現時点で思い出せる限りの記事のようです。つり革をもし掴んでいなければ、この方もどうなっていたか分かりません。

yoblogさんのダイアリーから、上記3本の記事に触れつつ、ルートが変わっても所要時間が変わっていないことを問題としているエントリです。

事故直後、近隣の方々がどのように助け合ったかの記事です。