アウトプットとインプットの狭間で……

はてなダイアリーを止めてから、気が付いた事は無数にある。
それらを全て、アップするには、時間も、労力も、足りなすぎる。
それをやってしまっては、今までと同じ繰り返しになる。
せっかく回復中なのに……。


ただ、一つだけ大きく気が付いた事を書きたい。


それは、こうして手軽なアウトプットの場を多く持てるようになった事が、果たして日本人を幸せにしているのだろうか? という疑問だ。
『考える前に筆を走らせる』ことが、果たして幸せなんだろうか?


そして、今までの自分は、考え無しに走りすぎていたのではないだろうか。
だから、体内時計を含めて、リズムが狂ってしまっているのではないか。
メトロノーム200で魔笛の序曲を演奏しているみたいな感じだ。しかも、一部のパートは楽譜に忠実なテンポだったり、異常に遅い演奏だったり。
コンダクターはどこにいるんだ! 楽員ならそういうに違いない。
私の中のコンダクターは、一見無事にタクトを振っているように見えて、実は無茶苦茶になっている。フルートにメトロノーム80を要求し、チェロにメトロノーム120を要求しているかのように。


不眠症の原因とは、本当の自分がやりたいテンポが、分からなくなってしまったことのようだ。
ここ数日、頭の中で、魔笛の序曲が何故か離れない。
幸いにも、その音は比較的原曲に忠実なのだが。このテンポを手放さないことが、完治への道に思われる。


今はインプットと熟考の日々を過ごしている。病院に通い、就寝起床時間を記録しながら、考える事を繰り返している。


よく考える事。
それは、楽譜の奥のニュアンスを読み取る事に似ている。
正しい表現なんて、教則本なんかには、書いていない……。
悪い演奏方法については、いくらでも書いてあるけれど。


今日、クリスチャン・リンドベルイさん(プロのソロ・トロンボーン奏者として世界一の方の一人である)が、2005年にトッパンホールで行ったリサイタルがテレビで放送されていた。
妙技とか超絶技巧とか豊かな表現力とか、そういうのを遥かに越えていた。
私レベルの感性でも分かるミスがあった。しかし、ブレス一つで取り返す。そして次の瞬間には、『美』そのもので魅了する。ほんの数秒の出来事だ。
彼にとって楽器はおそらく、手足レベルの物ではなく、脳そのものなのではないか?
完璧な『神』のような演奏ではなく、『人間』として最上の物を見せていただいた気がした。
リンドベルイさんだからこそ、あの演奏がある。


メソッドが世に氾濫する中で、自分にとって最適な方法論を探し出すには、結局自己確立するしか無い。
プロフェッショナルな先達が、ごくごく当たり前のように気が付いている原点に、ようやく立ち返られた感じがして来た。
リンドベルイさんも、山ほどの思考とレッスンとチャレンジの果てに、あの音を掴んだのだろう。


昔は情報がそれほど多くなかったから、原点に気が付くのが早かったのかもしれない。
今の時代は食べ過ぎになるのだ。和食で満足しないのだ。
それが分かる前にカレーライスに手を出す。それこそが今の日本人の不幸ではないか?
本当においしい和食を知ってからでも、遅くはないのに。結局一番おいしいのは、ご飯、納豆、みそ汁、アジの開き、菜っ葉だったりするのに。
本当に自分が好きな食べ物のアジを心底知ってから、洋食を覚える事が幸せなのではないか?
本当においしいアジの選び方、食べ方を、今の日本人の何割が知っているだろうか。
その選び方には恐らくきちんとした智恵が有り、智恵が生まれるには膨大な思考プロセスがあっただろう。
そのプロセスがすっ飛ばされ、結論だけが求められているのが現代の不幸だと思う。
そして、結論が簡単に手に入ってしまう事も。


まだまだ思考の過程にあるが、そろそろMacを閉じよう。
この判断が出来る事が、まずは生活の基本になるのだから。