諦念は自分を気楽にするが

でも、諦めたくない気持ちもある。大切な物を失ったとき、それを取り返すには悪いところを反省して、諦めなければいいと思う。
それを手に入れていた頃、本当に一番大切にするべきだったことはなんだったのか、失ってからじゃないと見えて来ないんだ。だから、今こそが本当のチャンスだろう。
もう手に入らないものじゃない。可能性は低いけれど諦めるほどじゃない。時間をかける勇気も必要だ。努力から逃げないことも。
それと、一番悪いのはこういう場所でこうして書いたことで「できたことに」してやるべきことから逃げてしまうこと。記録上はそれで反省したことになるからね。でも、それは無意味。むしろそれくらいなら書かない方がマシなんだ。
本当に自分が反省して出来るようになったかどうかは、自分自身と神様が知っている。鏡の中の自分を真っ正面から観て自分自身に頭を下げられるくらいにならなければ、生きている意味が無い。
すべての判断は、作品と、観にきた人に委ねられる。創作は怖い活動なんだ。今さら知ったところで遅すぎる。でも、何も作らないわけにはいかない。作りたい自分を偽ることこそもっとも恐れなければ。