子どもっぽい大人、大人っぽい子ども、両方とも増えたなあ……。

なんだかなあ。DSとかにはまってみて、今のゲームって大人がやっても楽しいように作ってあることが多々あるなあと。
なんか、子どもっぽい大人も、大人っぽい子どもも、両方増えてボーダレスで、子どもが子どもで居られる期間がどんどん短くなっていないか? と、おいっ子なんかをみてても思うのだ。いつも笑顔な彼、いや、それはそれでいいんだけど……逆に心配ではある。あの年齢で気を遣うことを覚えていたり……しないよね?
まあ、自分なんかは子どもっぽい大人だなあとつくづく思ってはいるのだけれど。


通過儀礼、イニシエーションのようなものの重要さが、平成に入ってから減った気がする。
あと、けじめをつけるとか、そういったものも。
それがすべてにおいて悪いとはいわないけれどね。でも、それでいいのか? とも思う。


職人の世界に対するあこがれとか、ものすごいことをさりげなくやるような人が、じつは大切にしていることって、多分、こういうけじめのような物をもっていることじゃないか、と思うのだ。
矜持とか、そういったものも。


いま、本当に自分が欲しい物は、そういうものじゃないかなあ、と感じている。
とりあえず生きていくのにはあんまり困らないでいられる環境に身を置きすぎたのかもしれない。中学のころの方が、もっと自分を律して「生きて」いたような気がする。
がんばるというのでもないのだけれど、モチベーションのよりどころをどこかに置き忘れてしまったんじゃないかという気がしてならないんだ。


本当は、中学時代よりも、今の方がずっともっと自由なのにね。


電車の切符に「小」マークが付いていたころは、2000年のころにすごく憧れていた。アニメとかの影響はあったと思うけれど、タケコプターとかが実用化されたり、世界は平和になってると思っていた。空を飛ぶ車とかも。
そして、切符を大人の方の販売ボタン*1で買うようになる身分が、早く欲しかった。そうすれば、自分ももっとすごいヤツになれるんじゃないかって、わくわくすることができた。
それに、西暦2000年の頃にハタチになるっていう自分が、とても特別な存在に思えた。何か、面白いことをやっているのではないかと。


西暦2000年は結構あっという間にすぎてしまった。思いのほか、早く過ぎていった。
面白いことをしたか? というと……不完全燃焼な思いだけが残っている。


あの日々から8年。


思っていたような大人になってはいない。


今の自分は、モチベーションを高く保つのに、努力が必要な状態だ。
あのころは、モチベーションなんて意識しなくても、自然に毎日をおもしろがっていたのにな。


向上だけが正義じゃないけど。
もっと熱くなりたいんだよな……。


仕事初めの日に、熱さを取り戻したくなった……。

*1:当時、電車の切符販売機はボタンが上下2段に分かれていて、上半分が大人用、下半分が子供用だった。そして、料金は最初からボタンに書かれていて押すタイプが多かった。現在のようにデジタル表示で各ボタンに料金がその都度表示されたり、タッチパネル式になるのは、平成に入るか入らないかくらいの頃ではないかと思う。