桜宮高校・バスケットボール部キャプテン自殺事件から思うこと(承前)

の続きです。
私の仕事は大学のPCサポートということで、直接的な授業は無い業務ではありますが、学生さんたちのフォローをしている身のせいで、学生さんという存在は身近な物です。ですので、この問題に関心があります。
それに、自分が中学高校の吹奏楽部で活動していた頃を思い出すということもあって。ジャンルは違いますがチームワークが重要な活動であることは同じなので。


こんな話を聞いたことがあります。
虐待をされて育った子どもが、大人になって、結婚して、家庭をもったとき。
自分の子どもを虐待してしまうことがある……と。
それは、自分が育てられたときに、虐待されることしか知らなかったから、無意識に踏襲してしまうのだ、と。
もちろん、すべてのヒトがそうだとは思いません。成長の過程で、いろいろな親切な人たちと出会えたり、親を反面教師にするようになって、同じことをされたらつらいから自分はしない、という風になることの方が多いでしょう、たぶん。
しかし、まったく居ないとも思えないんです。


このバスケットボール部顧問の先生が、どのような空気の中でスポーツをしてきたのかは知りません。
しかし、先生ご自身にも、体罰やそれに準ずるような暴力的な言葉、空気で学んできた経緯があるのかもしれません。
少なくとも、民主的で理論的なコーチングを学んだ方、とはとても思えなくて……。


もしも、そういった暴力的な空気の中でスポーツをしてきた選手が長じてコーチになり、またその教え子に暴力的に接するような負の連鎖が判明したとしたら。
人の命、ないしはスポーツマン生命がかかった話です。
ぜひともそれは改めていただきたいと思います。
この先生の方法は、やはり異常だと思えます。しかし、この先生だけが悪いとして終わらせてしまっては、きっとキャプテン君は浮かばれない。
全国にこのキャプテン君と同じ思いをしている生徒さんたちが居る可能性は高い気がしてならないのです。
この機会に、理不尽な罰則を受けながら部活動をしているような生徒さんたちが他に居ないかどうか、大人が調べる必要があるように思います。部活動のことは顧問の先生に任せきり、ということではなく、他の先生方や保護者の皆さんが協力する必要があるのではないでしょうか。


手前味噌ですが、自分の経験を少し書きたいと思います。
名前は出しませんが、吹奏楽では、かつてはとても有名な中学校だったようです。日本の吹奏楽を引っ張るような存在でした。その歴史と伝統の空気は、コンクールで入賞できなくなって何年も経っている私たちの世代でも残っていました。そして、部活動の厳しさ、部活の決まりなども。
上級生は絶対でしたし、さすがに殴る蹴るの体罰は無かった物の、緊張感はものすごかったです。いつかは全国の舞台へ復活することを至上命令のように思っている人たちでしたから。
思い出されるのがミーティング。
3年生が音楽室の最後部の座席に横一線に座り、下級生(1年生)は前の席に前向きに座ります。つまり、後ろに並ぶ3年生は見えない中です。それで、後ろから声がどんどん飛んできて、一方的に叱られるという恐ろしい物でした。これが数ヶ月に1回くらいあったような……。
普通のミーティングでは、円卓を使ったり、コの字の形に机を並べたりして、みんなの顔が見えるようにしておこなうと思います。小学校時代の学級会とかもそうでしたね。
しかし、あの部活のミーティングは、meetをしていないミーティングで、一方的に怒られた。反論は許されず、何を言われても「はい!」と返事をすることだけが求められました。
もちろんこちらは1年生ですから、分からないこと、間違えることなどはたくさんあります。しかし、3年生だって間違えることはありましたし、1年生から見ておかしいと思えることはたくさんありました。お互いの言い分を聞いて良くしようということはいっさいあり得ませんでした。
他にも、上級生が椅子に座っている時は立ち膝で話しかけるといったことも決まっていて。職員室である同級生が先生にそれをやって却って問題になったことがありました。吹奏楽部はどうなっているんだ、と。厳しすぎるのではないか、と。
そのようなやり方は何年も前から続いていた物だったらしいことは、部活を長く続けているうちに薄々分かってきました。練習そのものへのつらさ(やはり楽器の習得には基本的に根気が要りますし……)とは別に、上級生が下級生に対する圧迫感へのつらさがありました。ただ、本来、楽器の習得であれば、楽器練習に対するつらさと、それを乗り越えてうまくなった時の充実感だけがあれば良いはずです。
私たちの世代では、3年生になったらそういう理不尽で一方的な下級生対応をいっさいやめよう、部活の決まりなどの不合理で納得できないルールはやめよう、と、誰が言い出すことも無く合意が出来ていきました。自分たちがあまりにもつらくて、それで楽器自身がつらくなってやめてしまった友達もたくさん居ましたから。
そうして3年生になった時、私たちは先輩のしてきたようなことはいっさいやめました。
それでも1年間、下級生をそれなりには上達させてあげられました。面倒見の良さとチームワーク、部活の明るさでサポートし、コンクールの結果は出せなかった物の、それなりに充実した3年生時代を送ることが出来たと思います。
何しろ、部活動中に笑いが起こることなど、2年間ほとんど無かったことでしたから。
まあ、多少、部の空気はダレてしまいましたが、それでもヒトとして理不尽なことはなくなったのです。
自分個人としては、迷いもありましたが。厳しい空気のままの方が良かったのでは? 自分の世代は、長い歴史と伝統を裏切ったのではという葛藤は、卒業後も……時々考えましたね。
実際、自分たちの世代でそれより上の先輩方との連絡を取っているヒトは、ほとんどいないはずです。OBOGを無理に招聘しての指導などもやめてしまったので。顧問の先生の方針もあって、中学生の部活なら、その中学生だけでやるべきだということで。自分としても、先輩方への申し訳なさが先に立ってしまってご連絡さし上げられずでしたから。
自分たち以降の世代が得た自由の代償として、諸先輩方との断絶は避けられませんでした。
ただ、コンクールでの結果は、自分たちが育てた下級生が上級生になったときに出してくれたことを覚えています。さすがに全国大会出場ということはありませんが、自分たちが出来なかったことをしてくれました。そして、自分たちの頃よりも活発な活動ぶりでもありました。
それを思うと、あの判断が良かったのかどうかは自明です。
前例踏襲だけでは、ロボットのような活動しかできません。自分たちが理不尽だとかイヤだとか思ったことは、やはり次世代には勇気を持って断ち切らないと。変えるのは大変でした。今までのモデルケースが通じないし、人間、ダレる方がラクですし。厳しい空気での良さ、緊張感はかなり失われたりもしたとは思います。しかし、人間らしく、中学生らしくなれた気もします。格段に風通しは良くなりました。


過去の歴史や文化、方法論を引き継ぐことを否定はしません。
しかし、人権に関わるような理不尽な扱いを是とすることは、やはり出来ません。
先輩が正しい、コーチが正しい、下級生は不平等で当たり前、そういうヒエラルキーからは、下級生の活力を生かすこと、新鮮な視点を生かすこと、初心者だからこそできることをやれるようにすることなどの活性化は出来ないでしょう。
それに、下級生は初心者なのですから、経験が無い訳です。むしろ練習では積極的にやらせてあげるべきです。良く、野球部やテニス部などで、入部したての頃はボール拾いばかり、という話を聞きますが、そうではなく上級生の練習時間を多少削ってでも下級生を指導し、ボールを触らせ、打たせ、どんどん感触を掴ませるべきでは。ヒトの指導から得る物は多いですし、自分の基礎を見直す良い機会にもなります。
下級生だからと虐めたり、体罰の対象としたり、その他理不尽な扱いをすることには、合理的な理由が見いだせません。先輩も後輩も、ヒトとしては平等なはずです。
大阪の一件を機会に、日本の学校での課外活動全体が改善されること。生徒自身が先生に、下級生から上級生に、意見が言いやすくなるように風通しが良くなること。そして、取り組んでいるスポーツや文化活動そのものの困難と楽しさを享受できること。
そうしたことの実現が必要だと思えてなりません。