桜宮高校・バスケットボール部キャプテン自殺事件から思うこと

各種報道を見ていて、やっぱりこの件は色々おかしいという違和感が強くなってきました。
バスケットボールはチームスポーツですから、やはりどうしてもキャプテンには色々と責任は生じますが……何をやっても責められていて、しかも、言葉だけではなく(それはそれで問題ですが)体罰というのか、暴力的で。
上記記事では、ちゃんとやっているキャプテン君に対して見せしめのように処罰を与えたことについての違和感(なぜそんなことを? という)を解決してくれましたし、教育界の公式発表&報道のマジックで、問題がすり替えられている点にも突っ込みが入っています。
私が最初に感じた、言葉にできなかった違和感。それはなんでここまでされなくてはいけないのか、ということと。ちゃんとやっているキャプテン君だったみたいなのに? ということと。それを「体に対して」「罰する」という言葉で表していることでしたが……。なるほど、実際にあり得るのは、チームリーダーに対して厳しく当たることで、全体の引き締めを図るという効果……。それにしても、ちゃんとしている人間をむち打つようなことはやはり問題です。ちゃんとやるべきことはやっているのに、それでも叱られる、殴られるとしたら、だれが喜んでプレイできますでしょうか?
それから、もうひとつ気がついた問題点で。この先生のやり方、部活のあり方に問題があるのでは、と、先生に言える人間が居なかったこと。キャプテン君にもご家族以外、あるいは部外や学校外に相談できるヒトがどうも居なかったらしい(?)こと(私が見られた範囲内ではありますが、そういうヒトが居たという報道を、私は見ていないので……いなかったのでは……? 悪魔の証明みたいなもので難しいですが)。
つまり、外向きのベクトルが働かず、世界が閉じてしまっていたことです。
その部活と学校だけで閉じた世界で、ストレスだけが溜まってしまっていた。
自分が普段住んでいる世界の中だけで、問題がどんどん進行してしまい、誰にも止められなかった。別の角度から問題を解決しよう、という刺激が起きなかったことです。
先生自身に、同じ立場での対話の相手(正しいことは正しいと言い、間違っていることは間違っていると言ってくれるヒト)がいなかったからエスカレートした。
キャプテン君にも、いつもの自分の世界だけではない、別の世界があることを教えてあげられる存在が居なかった。
もしも、彼がそれに気がついてくれれば。あるいは他の誰かが、バスケットボール部を一時休養させてでも、他の角度から考えてくれるヒトに出会わせてくれていたら。
学校って、ともすれば非常に閉鎖的な世界になりがちなんですよね。
その狭い校舎の中で、人間関係やヒエラルキーが生まれ、独特のルールが出来。社会ではあり得ないような暴力も、起き得てしまう。


チームリーダーを痛めつけて結束を図るようなことだけではなく。
この顧問の先生の指導の仕方は、キャプテン君個人に対して、という観点からしてもやはり問題です。
下記記事(やる気を起こさせない心理メカニズムから、反面教師的にモチベーションのあげ方を探っています)をご覧ください。

上記連載から、各項目を引用させていただきます。

  1. 「高すぎる目標」は、やる気をくじく
  2. 「自分を低く評価する」ことは、やる気をくじく
  3. 「不安を煽る」と、やる気がくじかれる
  4. 「細かいことにこだわる」と、やる気をなくす
  5. 「競争が強すぎる」と、やる気がくじける
  6. 「自分の居場所がなくなる」ことは、やる気をくじく
  7. 「個人の努力に期待」しても、やる気は出ない
  8. 「理屈だけで、現場に出ない」と、やる気がくじける

この中の大半に当てはまるような指導をなさっていたから、やる気をなくすどころか究極のダウン(自分で命を絶つ)を起こしてしまったのでは?
各種報道が事実であれば、私には最後の項目以外はすべておこなわれてしまっていたように思います。


閉鎖的な場所で、追いつめられてしまったとき。
まずはご家族や友人。
それから、他の、その立場とは無関係な公的機関にともかく相談することです。
警察には抵抗がある場合でも、それ以外の気軽な相談窓口は、色々あります。抱え込まないことが大事です。
以下、思いつくまま。

また、お住まいの自治体の役場等でも窓口があるかもしれません。


ちなみに、私が中学高校時代につらかったときは、学校以外にはけ口がありました。ラジオ感覚で声を投稿できるテレフォンサービスや、他校に行った友達との文通、そして、高校だけではなくもうひとつの区民吹奏楽団にも行っていたことだったりしました。
やっぱり、学校だけでは息が詰まって仕方が無いと思うんです。20人、30人、40人の児童生徒たちが、一日6時間とか8時間とか狭い教室に閉じ込められている状態で。部活動にしても、体力や気力の限界まで搾り取られたりして。
しかも、マイナスの心理状態に置かれるような指導のされ方をしたら、やっぱり、どこか病んでしまっても仕方が無い気がします。自律するために、厳しく指導することの行き過ぎを感じます。
そうではなく、集団の中で本当に楽しく過ごすために人間としてのマナーを学ぶ、そういう指導の仕方、自発的な努力を促すための導き方、そういうことを学ぶために学校活動やクラブ活動があるべきだと思うんです。
たとえば、私立学校などで、どうしてもある一定の成果を求めての部活動だったとしても。
試合に勝てればやっぱり楽しい。そのためには、シュートが決まったら楽しいし、リバウンドを取れたら楽しいし、難しいパスが通れば楽しいし。相手よりも早くドリブルで切り込めたら、してやったもんだと思いますし。
こういう成功体験が目的だったとしても。
長い人生を見据えて、そのスポーツ(など)が好きになるような方法で教えてあげるべきで。正しい失敗の仕方(学び方)を教えてあげるべきで。
間違っても教育者が失敗を責めるべきではないでしょう!?


キャプテン君のご冥福を切に祈ります。
本当に、貴方はよく頑張りました。
これ以上無いくらい、よく頑張りました。
ようやく……休めるんですね……。


それから、この冬の寒い中、勉強、文化活動、スポーツなど、何かに取り組む生徒さんたち、そして特に取り組むことのないような生徒さんたちも。
みなが幸せになれますよう、願わずにはいられません。
どうか、無理をしないでください。自分を大切に。
今の時代は、生きていくだけでも本当に大変なのですから。