台風15号の爪痕と災害の今

台風15号で起きた停電からの復旧には、長いところでは2週間くらいかかりそうという記事ですが。
多分、そこで生活していたら、長いなぁ、と思ったとは思います。
しかし逆に、あれだけ広範囲に木々や電柱がやられたのに、2週間あれば直せるだろうって言えるのがすごいと思いました。電柱を立て直す前に、電線に影響のあるものを全部どかさないといけませんし、電線だってどこが断線しているか調べたりとか、特定できなかったら取り替えるしかなさそうに思えますし。外傷がなくても今回の場合内部で何か起きていたりとかありそうですし。
それにしても、こうなるとますます、避難レベルの災害の場合、家を出る前に、ガス栓を締めるとか窓やドアの戸締りのほか、ブレーカーを落としていく、というのも常識になっていきそうに思いました。
家庭内でどこかがショートしたまま通電したら、それこそ火災になるので。
あと、排水口やトイレから変な音がしたらビニール袋でつくった水のうを置いておいて万一の逆流に備えるとかも。
で、そういう家庭レベルのことはそれとして大事ですが。
災害の質が自分が子どもの頃とは明らかに変わったなと思います。酷暑も、風雨も、時にドカ雪も。地震津波も…。
何というか、自然の側が色々とやりすぎる。人間がやったことのしっぺ返しのように。
で、どうしたってそういう時代なので。
人間の側も、持続可能な生活ではなく、断続可能な生活に発想を切り替えるときがきたのかも知れないなあと。
つまり、何が何でも今を維持して今以上を目指す時代は、もうとっくに終わったんじゃないかと。それこそ、平成後期には終わっていたんじゃないかと。
そうではなく、万一、今を失ったとしても、別のところで、あるいは、別の形で、自分たちを維持できるような形が必要なんじゃないかなと思います。
こういうことを考えるようになったのは、思えばとある2本の傘との出会いからかもしれません。
もう、何年も前の話ですけども。
1本目は、徹底的に耐風する傘。広げると流線型に近いような構造になっていて、強い風に耐えるという触れ込みの輸入品でした。しかし、東京のビル風の突発性には耐え切れず、結局は1年ほどで壊れてしまいました。
その後、別の発想の傘と出会いました。こちらは日本の製品で、強風で折れてしまうことも織り込み済。強い風に煽られたら、自分から骨を折ってしまうのですが、致命傷にはならないようになっており、風がおさまったらまた広げ直すことができるタイプです。こちらは数年間、長持ちしました。華奢なようでいて、実は本当に強いのはこちらでした。
私見ですが、今のインフラや人生の設計は、個人は耐え忍びつつも今を維持し今を永遠に続けあるいは今よりも向上するのが良いとされた、高度成長時代に考え出されたものがまだまだ多いように思います。
これからはそうではなく、壊れても直せる、あるいは、壊れても致命傷は避ける、そんな設計が、あらゆる場面で必要な様に思うのです。