2004年の終わりに。

1)「ガラスの仮面」と戦争と災害のこと

さて、なんだかんだで用事が入ってしまい、3日もかかりましたが、「ガラスの仮面」を2004年中に読み終わりました! いやー、なんだかんだ言って、面白かった。


劇中劇としては、やはり、紅天女のセリフ『髪の毛一本 爪一枚 己で造ったものはなにひとつなかろうに(中略)この身を傷つけることが どれほど大きな罪かわからぬか? ましてや人の身を傷つけることが どれほど大きな罪かわからぬか?』というのは、重いセリフだなあと。命を生かすために使い切らず、殺すために使うことの罪は、宗教論などを待たずともおのずから真実であると思っています。いろいろなことがありすぎた2004年の締めくくりに、ふさわしい作品に出会い直せて良かったと思います。


この1年は、命の価値を問われ続けたと感じています。戦争という、人間自らが起こした命のやり取りと、災害という自然と人間の戦いとが、両輪のように世界的に起こり続けた年だった。「風火水土」自然、それすなわち命であること。大地が水をも揺るがして起きたあの災害も、(こういっては何ですが)やはり地球の、自然の一部の活動である事を思うとき、人間はやはり人間だけで生きているのではないと、考えずにはいられませんでした。

起こってしまった災害はしかたが無いことです。でも、それとうまくつきあう力……自然からの学びと人同士の助けあい。その術はあると思っています。でも。戦争は理不尽な理由で人的災害を引き起こすことだと思いますし、地球には人間の戦争というワガママを許す余力はもうほとんどありません。どうか、2005年は、もうこれ以上、人的災害という悲劇は起こらないで欲しいと願っています。

2)はてなダイアリーのこと

はてなダイアリーを始めたことは、自分にとってかなりエポックメイキングな事でした。ネット歴はかなり長い方(始めたのは1996年です)ですが、意見を発表する場所としてのインターネットを、これほど使いこなした事はありません。そして、自分が書き込んだことで、人が動いてくれる場所……すなわち、人力検索など……を知り、上手に使えばこれほど有効なものも無いなと感じました。それをもっとも感じたのが、新潟県中越大震災における、一連の質問でした。特に、チャリティについての質問(question:1101349594)では、あれだけの事を自分一人では絶対に調べきれなかったですね。そして、思いを書き込む習慣的行為から、だんだん、自分が未来に何をしたいのかがはっきりしてきました。考えてみれば、一日に500〜1万字程度は平気で書いているわけで、これが思考回路の整理に役立たないわけが無い。ぜひ、はてなさんにはよろしくお願いしますと申し上げたいところです。

3)創作活動と労働と。

創作活動、2003年の今ごろは「2004年はメディアクリエイターへの地歩となれば」と思っていました。思っていた事をすべて形にはできませんでしたが、楽器製作も演奏もマックもやはり自己実現であることの実感は深まりました。人生に何一つ無駄な事は無いのであるならば、この年はのんびり過ごしていたようで、おそらく5年後などに「良かった」と思える年だったと思っています。特に「はてな」に出会った後半は……。


労働、というか、社会参加については、じっくり固めたい事がいろいろと山積しています。大卒後の4年間で得るものは得た。マイペースで歩み直す感じですが、プロになりたいという気持ちにもうウソはついていられないな、と。デジタルデバイドを埋める仕事のプロになりたい、という、漠然とした結論にやっと辿り着いた所……。どんな道を来年の春以降選ぶことになろうとも、この気持ちにだけはウソをつきたくないと思っています。

4)2004年の最後に。

iMacと竹笛のゆらめき」今年最後の更新です。もうあと20分程度で2005年です。
人と人との間に、真と誠が満ちる一年であることを、強く祈りたいと思っています。
約半年間ありがとうございました。来年も、よろしくお願いいたします。