立場や役割の中で見失われる自分らしさ

部屋の掃除をしていたら、昔の雑誌コバルト*1が出てきました。読み飛ばしていた読みきり短編小説を読んでみたら、これが面白かった&考えさせられました。
七穂美也子・著、「聖域の罠 -春加先生の心理学ファイル-」っていう作品。


簡単にあらすじを書くと、心理学カウンセラーとして病院に勤務している青年がいて。そこへ、流行のプラチナブレスレットをかっぱらった窃盗犯が逃げ込んできました。病院で騒ぎを起こしてしまえば、多くの患者さんに迷惑がかかってしまいますし、よけいな不安を与えることにもなります。そこで、青年は一計を案じ、非常に穏便にブレスレットを取り返し、犯人を警察に引き渡すのですが……。
心理学を応用した逮捕術。見事なものでした。


本作では心理学のある実験で、心理テストの結果精神的に穏便な人々に、ランダムに囚人役と看守役をお願いし、仮設の牢獄を設営して、囚人役の人がどう行動するか、また、看守役の人はどうなっていくかを調べたものがあるそうで、その結果の応用だそうです。たとえば、看守は囚人の名前を呼ばずに番号で扱ったり、作業の命令を出したりします。
端的に結果を書くと、看守役の人は横暴になり、囚人役の人は従順になるのだそうです。
もともとそういう素養があったワケではなく、看守という立場=ある種の権力を握る、と、その権威を使いたくなって、エスカレートするもの。その立場にいながら公平でい続けることなど、なかなかできるものではないそうですね。また、囚人役にしても、支配される立場=ある種の緊張感を感じて萎縮する、と、普段の自分なら思い切って行動できるようなことでも怖くてやれない、みたいな状態に置かれる。
詳しいことは作品の方を読んだ方がよりよく分かると思いますが。


戦争で捕虜を捕まえたときに、捕まえた側の兵士が乱暴や無茶な労働をさせた例はいくらでもありますが、それは戦争という余裕の無い状況におかれたりすると、もともと穏便な人でも自分より下、見下してよい(という雰囲気があってその場はそれに支配されている)人=捕虜がいたりしたら、乱暴になってしまうのも無理は無いのだそうです。


そうですね。
日本人が経験した例では、太平洋戦争のシベリア抑留などの例があると思いますし、現在のイラクアメリカ戦争ではアメリカが捕まえた現地の兵士を虐待したニュースもありました。
また、神風特攻隊や、人間魚雷などの例があります。自分の命は大切であるはずなのに、自分の命よりももっと大切なものは、日本の国を守ることなんだよ、とかって充分に教育されてしまえば、自ら志願して自爆戦闘機や魚雷に乗ってしまうのも無理は無いのです。現に、世界中で自爆テロなどがよく起こっていますが、あれらは自分のまともな判断で動いているとは私には到底思えないのです。人の命より弾丸一発、爆弾一個の方が大切だ、という極限状況に置かれたとき、それでも謙虚に自分の命は何物にも代えられない、と、言える人間は少ないのではないでしょうか? だから、戦争は避けられるなら絶対に避けるべきで、どんなに難しいいさかいも、すべて理性ある話し合いなどで解決するべきなんです。……戦争は人間性を壊してしまい、通常ならまともに判断しブレーキできることが、できなくなってしまうのですから。


また、映画「それでもボクはやってない」にあった留置場や取調室のシーンからも、こういった「警察官という立場」「容疑者という立場」から、ある程度自動的に引き出されてしまう心理を感じることがありました。警察官だって、普通の家庭のパパのときなら、きっと子供に優しいのでしょう。でも、仕事として容疑者=社会の悪の一端である人間(と頭の中で決め付けてしまっている)と向き合ったときは、警察官と容疑者は1対1の関係ではありません。結果、自白強要をブレーキするシステムが作れていなかったりして、やってもいない罪で起訴されてしまう。警察官が悪いのではなく、第3者の目が無いところで取り調べられる現状のシステムが悪い気がしてしまいます。自分がもしも男性で、やってもいない痴漢で訴えられたら、その無実を留置所や取調室で証明するのは現状では難しい。訴えられたら即犯人になる心理的なシステムが日本には堂々とまかり通っているんです。


そこまでいかなくても。
子供の頃、学級委員になったらなんとなく威張ってみたりした人、いたりしませんか?
また、大人になって、昇進したりして、人が変わったように暴力的な言動をするようになってしまったり。警察などの市民よりも権力を持つような職業の方はどうでしょうか?


かく言う私も、学生さんのパソコンサポートという立場ではありますが、ある意味では学生よりも上の立場なので、内心見下すような気持ちになることがあり、極力気をつけるようにしています。これは前の職場で「**先生」と呼んでくれた学生さんが多かったときに、自然に威張るというか……学生よりも上、みたいな心理になって、なんとなく危ないと思ったからではあります。教育する側の人間ではあるけれど、人間としては対等でいたい。私もまだまだ沢山勉強しないといけないし、学生さんの方が良く知っていたり、面白い考え方をしていたりして、逆に学ばせてもらったりするので。
まあ、学生さんを見ていて、周りや先が見えて無いなあ、と思ったり、未熟さを沢山感じたりもしていますが、その未熟さから学ぶことも沢山ある。
平たく言えば、ある立場(人より上、人より下問わず)におかれても謙虚でいられるかどうか、って、人間性が試されると思うんですよね。自分らしい、って、どういうことなのでしょうね。



ともあれ、このシリーズは多少は古いものの、文庫が結構出ているらしいので、今度見かけたら読んでみようと思います。

*1:Cobalt (コバルト) 2005年 10月号 (雑誌)