個人が環境を握る時代に。

ちょっと雑的にもやもやと考えていることがあります。はてなダイアリーとかのブログツールはいってみればオンラインワープロwikiはてなグループといった書きもの集めツールはカード形データベース(オンラインのファイルメーカーかも?)、FlashQuicktimeはオンラインプレゼンテーション(うまく使えばパワーポイントになる)、Skypeはインターネットでのリッチメディアに強いライブ通信手段に、と、この数年でいっきにwebアプリケーションが発達している。(PCと回線がある場所ならどこでも仕事ができるとか)そのうち、アクセス、エクセルに匹敵するようなものもオンラインで使えるように多分なるでしょう。ビジネスアプリ三種の神器*1がそのうち取って代わられそう。
いままである資産をwebアプリで活用できるようにインポート(例えば、wordの書類を自動的にMovableTypeにインポートとか)できるような、媒介者がそのうちでてきそう。
既存のPC上でのコンピューティングをオンライン上に置き換えるような強い流れが出てきそう。


お絵書き掲示板じゃないですが、簡易版のオンラインPhotoshopとかオンラインIllustrator、そういったものでwebパブリッシングの原稿描きができる時代もくるかも。ここ数年、Adobe などのクリエィティブなソフトウェアのたぐいがほぼ1年に1回新バージョンが出るとかになって、ツール更新の煩わしさとか感じている人は多いのではと。だったらライセンスも動作環境もオンライン化した方が合理的では、なんて使う側からすると思えてきたりします。ソフトウェアのデータが大きいとか、ダウンロードに時間がかかるとか、サーバに負担が大きいとかのインフラ的な問題は、多分技術者のみなさんの努力、あるいは市場の……ビジネスの力で解決してくれるでしょう。


となると、部品が安くなったとかとは全く別な次元での、PCのコストが下がりそうな気がします。サーバの方にモノはおいておいて、ダウンロードして動かせればいい。Pentium 4とかPowerPC G5搭載とかの高機能が無くても、ネットの資源(リソース)を動かせるだけのスペックがあれば、OSとかは不問でもいろいろなことができるようになる。相対的に必要なスペックが下がれば、機械の性能があがったのではなくとも、合理的な低価格化が起きるかもしれない。同じ作業が安いマシンでどうにかできるよ、ということです。


そういう意味では、高機能な作業ができる環境の構築者・所有者が企業から一般人に、だんだん流れが変わってきていてて。windowsにOS代金2万も払わなくても、Linuxでどうにでもなる人はどうにでもなるし。これ以外にも、なんかいろんなモノの売り方とかが、情報や力を企業で握っていた時代から個人にシフトしていっている感じが。


例えば、無農薬食品を農家から直接買ったり。(市場、問屋を通さない方が安いし新鮮)
せどり*2も個人ができる市場参加の一つの形だと思うし。


今まであった古くてでっかいものが新しい個人に倒されていく、混沌とした時代になっていっている気がします。こういう流れがネットワークの中で起きていて、同じ給料もらっていてもそれをうまく使って結果的に高い生活ができる人と、知らないために(あるいはネットに参加していないために)そこそこの生活の人と、情報そのものへのコストが下がっている、そのことが逆にあたらしい格差社会を作りつつあるのかもしれない、そんな気がします。


この間、ニュースを見ていたらSONYが全世界で1万人の追加リストラをするということをやっていて、大企業にいてもいつ首切られるか分からないなあと。一方ではてなみたいに、資本金なんて1億行ってもいないし100人も社員がいるわけでもないのに、情報手段を変えていく大きい仕事をしている企業もあったりする。


企業は倒産、政府は借金漬け。これらを頼りにする時代はとっくに終わっている。寄らば大樹の陰、の時代から、少年よ大志を抱け、になっていっているのかなあと。ある意味サバイバル。個人が強くなければ生きていけないのかもしれません。逆にいうと、強い個人はどこででも生きていける時代でもあるのかも。

*1:word,excel,powerpoint

*2:値打ちが正しく価格付けされていない、安い掘り出し物の古書を、個人が古書店などで見つけて、 Amazonなどのオンライン古書店やオークション(つまりは市場)に流して儲けるビジネスの一つ。詳しくはキーワード参照。