物のいのち

とある機械が壊れたので、プロの方に訪問修理して頂きました。さすがはプロ! あっというまに復調。う〜ん、すごい。


ところで、物との付き合い方を考えるのも、現代人としての私のテーゼです。
物が多いから、いらなくなったら捨てていかないと部屋が埋まってしまう。なんだか考えてみるとおかしな話なんですが、いらなくなったら捨てる、が現代生活のキーワードになってる。
万物は流転するし、世は無常なので、状況が変わったら捨てていかないといけないわけなんだけれど。じゃあ、手に入れる段階でもっと考えなよ、とも。


ものを捨てる必要がある一方で、こうして直して使ったりもする。


また、別のことなんですが、物を創ることもありますし。自分で創るとなると、失敗作がたくさん出来る。この失敗作の取り扱いって難儀します。余計な愛着のせいで捨てられなくて。
こわれた竹笛とかどうしようかといつも思うのですが。他の楽器にリサイクルできないかとか。


いずれにせよ、物というのは使うことで命を持ちます。


だれも座っていない椅子は、たんなる4本足の物体で、誰かが座るから椅子になるんです。
椅子に命を持たせるのは、人間だと思う。


楽器もしかり。吹いていないトロンボーンは、単なる金属のS字管でしかないから。
音を出せる人間が持って、初めて楽器に命が産まれる。
音を出していない楽器は、死んでいる。


そこまで考えると、消費生活のポイントって、使いこなしたくなる物だけを持っていればいいってことに落ち着きます。
マザー・テレサの私物が、サリー2着だけだった、という有名な話がありますが、私も今メインで使っているスラックスって2着をローテーションさせてたりします。
他にも数点ありますが、けっこうこれだけでなんとかなってしまう。
他のひとなら、もっと持ってるかもしれないけれど。5年間の勤務で使ったスーツ(上着)も2点だけだったし。別に困らなかった。中学の時も冬服のベストで夏服してたし(普通は夏用の薄手のベストを使う)。それでもコンクール練習とかこなしてましたよ。朝の九時から夜の九時まで一ヶ月!


トロンボーンがバルブ楽器じゃなくても音階が出来るように、シンプルに考えれば現代生活はもっと楽になりそうに思えます。こういうライフスタイルが気に入って来てて、それが家族とずれて来たりしてるので、ちょっとつらいところ。


もっと物を捨てたいんだけれど、家族と言えど他人なんで、ヒトの物を勝手に捨てて怒られたりしたからなあ。


いろいろいただき物をするとき、耐久性のある物体はいつも困ります*1。消費できるものの方がうれしいです、基本的に。むしろ商品券とかはてなポイントがうれしい(え?)。


まあ、最後のは余談ですがね。

*1:ただし例外もたくさんあり。