ファミコンゲームが開いてくれたパソコンへの路

最近、よく読んでいるWebコラムは、任天堂の社長さんがいろいろなゲームクリエイターにインタビューしている『社長が聞く』シリーズです。
普通なら、社長が自分のコメントで会社の製品をブログやtwitterで紹介したりすることが多いと思いますが、任天堂の場合は、社長が自社スタッフだけではなく、任天堂ハードで動くゲームを作ってくれた他社のスタッフさんもインタビューして、製品を紹介しているんです。
これが結構面白いんです。
ゲーム業界って、やっぱり特別なものを作っているというイメージがあります。だから『どうやってそれをやったの!?』って思うことはいろいろとありますし。形があるようでないものを、どうやって実現させていくのか。何十人、場合によっては何百人にもなるチームでイメージを共有して、どうやって足並みを揃えて一つのコンテンツを仕上げるのか。そういう裏話、バックステージってやっぱり面白いです。それに社長さんの聞き方が非常にうまくて、インタビューされている人たちの言葉をうまく引き出しているなあって。


こうして任天堂のゲームがどうやってできてきたのかを読んでいくと、基本的には仕様書よりも動かしてみたものを重視しているのかな、と、感じるようになりました。あれだけしっかりしていて面白い数々のゲームは、つくってみてつくってみてつくってみて、それでやっと出てきた着陸点なのかなと。


私は子どもの頃にたくさんファミコンで遊びました。
スーパーマリオブラザーズ2』を池袋の『さくらや』で誕生日プレゼントとして母に買ってもらったときのことは、今でもよく覚えています。あの日は本当にうれしかった。夢の冒険がスタートするんだと思いました。実際、オープニング地点に無限増殖、文字やグラフィックがかなりきれいになったこと、ルイージスーパージャンプ、油断すると取ってしまう地下面の毒キノコ、逆ワープに台風、ともかくハチャメチャな難しさ……。ディスクの裏面に『スーパーマリオブラザーズ』(初作の方)も入れて、両面マリオの野望を達成したあの1枚は、何度も裏返して楽しんでいましたね。『マリオ2』の難しさに音を上げたら『マリオ1』へ。挑戦心が湧いている日は『マリオ2』へ。データ量だけなら、今使っているUSBメモリの方がよっぽど入りますが、詰め込まれた感動の量はあの小さなディスクの方が上だと思います。今、感性がすさんでいるのを日々感じています。仕事でUSBメモリの中に一生懸命いろいろと書いたり作ったりしていても、感動とか熱とかがなかなかこもってこないフラストレーション。本当にどうしたものかと。


話がそれました。ともかく、任天堂が作ってくれた、開いてくれたコンピュータへの路。
コンピュータは面白いということ。怖いものじゃないということ。
それが、今の自分につながっています。あの時代に経験したことが、今の自分をデジタルデバイドから守ってくれていると強く思うのです。


自分がしている仕事は、コンピュータリテラシーの大学初年度教育の現場です。
固いような仕事ではありますが、好奇心とか興味とかがなければ、ただの必要性だけでは身に付かないというのは自分が一番良く知っていること。
さすがにファミコンみたいなことは無理でも、どうやったら感動を持ってリテラシーを身につけてもらえるのか。自分に出来ることはなんなのか。
何を作ればいいのか。
エデュテイメント的なことに答えはあるのか? 経済学を見事にゲーム化した『日本経済新聞社監修 知らないままでは損をする「モノやお金のしくみ」DS』みたいに?


悩んでしまうと、原稿執筆*1の手が止まることもしばしばです。
でも、今書いていることが、多分遠回りではあっても間違ってはいないだろうと信じることしか、できそうにありません。
何か違う、という気だけは常にしているのですが……。

*1:私は、学内サイトにあるパソコン関連FAQページや、初心者向け学内用パソコンテキストなどを常時執筆しています。