大学設置認可問題2

http://d.hatena.ne.jp/Yuny/20121106/p1
の続き。
結局、認可しないのをしないことになったようで。
当該の大学関係者の皆様、学生さんや受験生のみなさんはほっとしたんじゃないかと思う。大学の現場のスタッフの端くれとしても、こんなことがあったら絶対に大変だったろうなあと想像はできる。
大学を運営するという事業は、直接的にお金儲けが目的ではない。
もしも産業に例えるとするならば、いかに良い学生さんを育てて社会人として巣立ちさせるかが産業なんだと思う。それからもちろん、研究をする場でもある。そのためにお金がかかるのであって、お金が目的ではない。そこが難しい所ではある。大学の評価基準をどこにするのか。
大学に行くことが一般的になって、一握りの人気のある大学と、そうではない大学の格差が激しくなってきた。本当に競争である。だからこそ、新設や短大の四大化がおこなわれるようになってきたのだが……。
うちの母校は、そういういわゆる人気のある大学、というタイプではなかった。しかし、少人数制で手作り教育の良さがあり、これは入学しないと分からないタイプの良さだったなあ、と、今でも思う。大学で学んだことは本当に大きかったのだな、と。
今回指摘されたように、受験生の人数に比して大学の数が多過ぎる、というのは、確かに一理あるのかもしれない。しかし、だから学校数を減らすために認可を止める、ということで、教育の質が担保されるのだろうか? 学校数うんぬんよりも、たとえば学際的な教育機会の確保、教育成果の地域への還元など、多い学校数を生かして全体的な教育底上げを促進するような施策が大切なのではないか、と感じた。
今回、単に学校の数しか見ていないように思えた。小さくても良い教育を実践している大学と、まるで中身の無い大学とを同じ1校だとして平気で並べるような発想で考えていただきたくはないと思う。