クリスマス・イブまであと1ヶ月

何となく日付で。
日本では、11月からクリスマスだなあと何となく思っていました。
町並みにいろいろ飾り付けがされたりとか、そういう意味でですが。
でも、クリスチャンが多いかというと、そうでもないのが不思議な所。
まあ、お祭り大好き、みたいなムードなんですよね。


昨日の、初台で初音ミクで日フィルという奇跡のときも。
会場入りするまでに、何個もクリスマスツリーを見ました。
そしてあの演奏は……冨田勲先生、初音ミク、そして日フィルや指揮や合唱のみなさん、CGスタッフの皆さん、その他多くの人たちからの、本当に美しいプレゼントだったのだなあと思い出されます。
『イーハトーヴ』交響曲の『銀河鉄道の夜』では、『ケンタウルス祭』のうた(「♪ケンタウルス 露をふらせ」)がモチーフのひとつになっていました。原作を読んだときに浮かんだあのお祭りのシーンには、何となくクリスマスのイメージがあるんですよ。私の中では。演奏時はホール中に、まるでプラネタリウムのような美しいCG投影がなされました。まるでクリスマスツリーのように。


そういえば、『アメニモマケズ』の詩にも、なんとなく冬のイメージが感じられます。話の中では夏も冬も出てくる詩なのですが、何となく、冬にこそ身にしみる気がするんです。苦難に負けず、頑強なからだとしなやかな心を持ちながらも、人々のために働くスピリッツ。文字通り東奔西走し、愚直な個人として生きる。決して賢人ではなく、ひとりの愚かな人間として根を張って生きる。夕暮れて、すっかり冷え込んだ街の忙しそうな横断歩道を渡りながら、あんな生き方ができるのだろうかと考えていました。この道を渡り歩くときにすれ違っただけのご縁の人々にも、それぞれの生き方があり苦難がある。そういう人たちの幸いを祈るような生き方ができるのかとか……。
自分を、勘定に入れずに。みんなの幸いのために焼かれる覚悟はあるのかと。
行き過ぎると危険な思想ではあるのですが、心持ちとして。
昨日、移動中に新大久保の駅を山手線で通ったのですが。あの駅で以前、駅のホームから転落した人を助けようとした人の死亡事故がありました。自分を勘定に入れていたらできなかったこと。そして、交通安全という社会規範の意味。
自由に心のままに生きていながらも、常に人々の幸いのことを考えるようなことはできるのでしょうか。


クリスマス・イブには、サンタクロースが子どもたちに贈り物を届けます。
次世代を担う子どもたちに、おもちゃや夢を贈ります。
でも、クリスマスだけではなくて、いつでも、大人は次世代のことを考えなければ。
『青い地球は誰の物』?
誰の物でもなく、誰の物でもあり、そして、全員の物。
宇宙船地球号に乗り組む全員の物。人間も動物も植物もすべてを含めて。
何回ものクリスマスイブを重ねて、私は次の世代に何を残していくべきなのか。
自身の子どもの有無は関係なく、そろそろ、考えなければいけない気がしています。