引き継がれるもの、そして自分らしさとは?

実はこの秋クールは、久しぶりにアニメを見るようにしていた。せっかくnasneがあるのだし、使うべき時には使わなくてはもったいない。
今期は『RELEASE THE SPYCE』(以下『リリスパ』)、『あかねさす少女』『やがて君になる』(以下『やが君』)と、女子高校生主役のシリアス路線3本と、書店ものというテーマが気になった『ガイコツ書店員本田さん』、そして知ってる街が舞台の『ひもてはうす』、そして『逆転裁判』を毎回見ていた。
あんまり本数を増やしても追いきれないので、クール5〜6種くらいが自分の限度かなぁ。今期は他にも話題の作品が色々あったみたいだが、そこまでは手を出せなかった。キャパシティを超えてしまいそうで。

終盤や最終回をそれぞれに迎えた最近、『リリスパ』『あかねさす少女』『やが君』の3本のひそやかな共通性に気がついた。
この3本、亡くなられた大切な人(先輩や家族など)の想いを、自分はどう引き継いで行くべきか、というテーマも隠れているように思えた。
リリスパ』では、現師匠のさらに師匠が亡くなられた時のエピソードが強烈であったし、その想いは本作の主人公でもある現在の弟子に引き継がれ、為すべきことを為すためのチカラになっている。
『あかねさす少女』では大切な家族(弟)が行方不明になってしまったのは自分のせいだ、という主人公の自責があった。そして、彼のために生きるということを理由にして、自分の本当にやりたいことを考えることは放棄していたのではないだろうか。あの、主人公の底抜けの明るさの陰では。
『やが君』では、主人公の相手となる先輩が深刻な悩みを抱えていて。先輩の姉上が交通事故で亡くなったのは自分がそのときの買い物に出てあげなかったせいだから、と、やはりこちらでも先輩は自分の姉上の死を自責していた。しっかり者だった姉上の代わりになろうとして、自身は生徒会長にまでなったほどだ。

先人たちの素晴らしさを語り継いだり、想いを馳せたり、生き方のプラスにすることは良いだろう。
しかし、失った悲しみや自責のために、その者になり代わるようなことは、本当に自分らしく生きることなのだろうか?
それは苦しい生き方ではないのか?

誰かのために生きることは、自分らしさを失うこととは必ずしも等価ではないのだ。

よくあるテーマではあるし(古くは野球物の『タッチ』などもこのテーマであったと思う)ほんとうにたまたまなのだろうけれど。
今期、自分が気に入って見ていた作品に、遺志継承という深いテーマが隠れていたのは興味深い。
今クールではないが、ここ数年の話題作『進撃の巨人』にも、過去を未来へつなぐということは重要なテーマとしてあるし。

人は千年も万年も長生きできない。
誰しも、いつかは亡くなる。
かくいう自分も当然だ。
いったい、何を遺せるのだろう…。
そして、自分より先に亡くなられた方の何を引き継げたのだろう?