厳しいという伝統

宝塚音楽学校歌劇団でのパワハラ問題。
どうも組織的というか、もうそういう閉鎖的空間なんだと固まってしまった状況だったようにしか思われません。
上記によれば、2023年11月16日、MBSテレビ「よんチャンTV」で「数年前に宝塚歌劇団宙組に在籍していた女性が番組に送ったメール」が紹介されたようです。
その中で、(下級生のときに厳しく理不尽な指導が続いたので)「自分が上級生になったときには後輩への厳しい指導をやめようとしたこともあるが、音楽学校の上部関係者に「なぜ厳しい指導をしないのか、伝統が守れない」などと指導を強制された」ようなのです。
つまり、理に合わない指導をやめようとしたら、上の人に酷く叱られたようなのですね。
伝統を守るのは素晴らしい舞台を作るための手段に過ぎないとすれば、別のやり方の方が今の時代にあった素晴らしい舞台を作る方法であるなら、そちらの方が良いに決まっています。つまり、伝統を守るのは伝統を守るためだ、という感じで、手段と目的が逆転しているように思われます
今の時代、理不尽に叱るのではなく、お互いの言い分を聞いて話し合うことのほうが重視されています。今の若い人たちはそうした話し合い重視の教育を受けてきており、暴力(言葉や態度による暴力も含みます)による強制はおそらく彼女らには合わないのではないかと思うのです。我々について来い、上級生だから偉い、みたいなことではダメなのです。
そもそもこのやり方は時代に合わない以前に理不尽そのものですしね。
この方が下級生への厳しい指導をやめようとした勇気を尊敬いたします。変わろうとすることには大変なエネルギーが必要になるものです。
これを書いていて、自分にも似たようなことがあったのを思い出しました。
中学の時の吹奏楽部で、とくに自分が一年生の時の三年生からの指導が今思うとパワハラもいいところの厳しいものだったのです。
うちの中学は自分が入部するより遥かに昔は全国区だったらしく、当時はその頃のことを知るOGOBの皆様も指導に来られていました。それで当時の三年生は彼らに影響されたせいもあり、我々の世代を厳しく指導したのです。
反省会の時のことを覚えています。先生と二年生は同席せず、一年生と三年生だけでおこなわれました。
音楽室の前の方に我々1年生が着席し、後部席に3年生が着席。
後ろを振り向いてはいけません。
そして後ろから厳しく叱る声がガンガン飛んでくるのです。殴る蹴るの暴力こそありませんでしたが、つい数ヶ月まで呑気な小学生だった身には堪えました。我々を親身に守ってくれた二年生が不在だったこと、優しい音楽の先生も不在の状態で、ともかく三年生の言っていることこそが正義の状態で、一年生ながら考えていたことは発言が許されませんでした。ひたすら謝る謝る謝る……1時間が長かった。
今思っても腹が立ちます。
しかし、不思議なのは、こんな反省会をやっていた三年生でも、個人個人は優しい先輩だったんですよ。
つまりあの厳しさは、うちの部活という組織を守るために作られた虚構だったのです。一年生を音楽室に閉じ込めて一方的に三年生が叱ること、というのが、一年生を正しき中学生に育てるためではなく、ただ叱るというカタチを守るためにやっていたのではないか……と、今となっては思えるのです。
それが証拠に、この時の二年生が三年生になった時はこの形の反省会はやらなくなりましたし。
我々が三年生になった時は、顧問の先生の方針もあり、OGOBの皆様との付き合いを含めた今までの伝統的な厳しさを一切合切放棄しました。
後輩には一応、部活のマナーとしての最低限の礼儀と敬語くらいはそこそこ守ってもらうようにしましたが、今まで自分たちが受けてきたことに比べたら格段に楽になったはずです。まあ、流石にタメ口まではちょっと抵抗あったので。
ちなみに、一年生の時の厳しい指導がコンクールの成績にむすびつくことはありませんでした。むしろ、我々が三年生になってのびのびやった時の方がアンサンブルコンテストでの成績は良かったです(三年生の1月でしたが部内選抜メンバーは参加していました)。あの時、夏のコンクールではなくアンサンブルコンテストでとはいえ、全国大会に行けない方の都大会本選金賞を取ってくれた友達は、翌日が高校入試だったのですが合格しました。文武両道のためには余計なストレスは無用だったのですね。
あの、我々が三年生のときに厳しいやり方をやめることにした時、一番力になってくれたのは顧問の先生でした。部の父母会やOBOG会からさまざまなことを言われたのではないかと思うのですが、今までのやり方は中学生らしくない、の一点張りで、我々を守ってくれました。
組織が理不尽な伝統を脱しようとする時、やはり上に立つ人が現場を守ってくれなければ、変わるに変われないんじゃないかと思います。
我々のことは小さな部活でのことでしたが、宝塚音楽学校歌劇団となれば、それこそ多くの人の理解がなければ変われないでしょう。
いくら稽古には厳しさが必要だとはいえ、理不尽なパワハラはもう要らないのです。
誰かが死ななくては止まれないなんて、あってはならないことだと思います。
プロである以上、芸を磨く厳しさは必要でしょうが、それは理不尽なことの強制とは全く異なると思います。
現場を危機から守るのは宝塚の場合はやはり上の人たち、ジェンヌさんのトップの人たちもそうですが、理事会的なポジションの人たちにかかっているように思えます。しかし、あの記者会見からは、ジェンヌさんを守ってくれそうにはとても思えませんでした。それは過ちを認めていなかったからです。
おそらくまだまだ揺れるとおもいます。
ここで変われるよう、祈りたいと思います。そうでなければまた同じことの繰り返しになってしまいそうで怖いのです。