進撃のプロフェッショナル

※以下、『進撃の巨人』の最後までのネタバレを大いに含みます。原作コミックを読破されていない方は読まない方が良いかも。
『プロフェッショナル』でアニメ・進撃の巨人の主人公、エレンが取り上げられました。
たまにあるNHKさんの真剣な悪ふざけ。チコちゃんやねほりんぱほりんもそんな流れだと思ってますけど、アニメ版最終話が近い進撃の巨人もまたひとつ。あのドキュメンタリーの形で進撃の世界を語るという企画。
インタビューでエレンが答える場面のセリフは、原作者さんや放送作家さんではなく、声優さん自ら書いたものだそうです。それも、原作サイドから強く依頼されて。

これを踏まえるとより趣き深いですね。
そういえばエレンが敬語で喋るところを暫くぶりに見た気がしますね。
休日の趣味はサウナと語るエレンさんですが、これ、原作の雑誌掲載時に表紙で描かれていたイラストが元ネタかもです。サウナシーンは原作ストーリー上はありません。
「親孝行ってやつ、やってみたかったなあ…。」ってのがしんみりきましたね。やっぱり、あんなことをしでかさざるを得なくても、お母さんのことは大好きだった……。
残酷な世界と闘い、自分たちパラディ島に自由と平和をもたらすことを強く願うがゆえに、逆に自分が世界の敵にならざるを得なかったエレン。アルミンのいう通り、いつの間にやら『自由の奴隷』に陥って自分自身はちっとも自由になれなかった。あんな巨大な戦鬼となり、大型巨人の群れを率いて世界を問答無用に踏みつけ蹂躙する化け物なんて、世界中、どの勢力からも敵としか捉えられません。そう、それは母国のパラディ島からも。
皮肉にも世界は共通の敵を得て一つにまとまり、エルディア兵も調査兵団もワンチームとなってエレンを討ちに行きます。その顛末はアニメでようやく語られることになりましたが。
ここまでやらなきゃいけなかった、戦い続けたエレン。
本当は木陰で昼寝できればそれでよかった……わけではなく、戦いたかったのだと語ってましたけど。
あれは嘘であり紛れもない本音でもあるとつくづく思いました。
この日記で何度も取り上げている本ですが、どうしてもこの作品を思い出してしまうのです。

上が原作、下のが原作本出版を受けてのインタビューコミック。両方読破がおすすめ。ベトナム戦争を戦った海兵隊員のネルソンさん。戦争を生き残った顛末とその後を描いたすさまじい本です。
あの戦いは強制されたと、嫌なのに行かされた……と思っていては、ネルソンさんの心の解放は成し得ませんでした。自分は本音では人を殺したかったのだ、戦争で活躍して名声を得たかったのだと気がついてからが、彼の本当の人生の始まりでした。
エレンが番組で「オレは戦いたかったんです」と語ったことと重なります。戦いの本能に身を任せ、巨人を率いて残酷な世界を力で蹂躙し、憎悪を持って復讐して、心底から快哉をあげ、何もかもが気持ち良かったはずです。自分たちの足の下で罪もない市民が悲鳴をあげて絶命する様は、良心を痛めていてもおそらく快楽はそれを遥かに凌駕してしまっていたことでしょう。その風景を彼は見たかった。世界の人を踏みつけ大空に羽ばたくこと、それこそが最高の自由だった……訳は、ない!
アルミンがどやしつけたこと。
キミは自由の奴隷だと。
どんな拳で殴るよりあの一言はエレンに効いたはずです。紛れもない真実ですから。拳のケンカでエレンに勝ったことはないアルミンでしたが、心のケンカではエレンを制したと言えます。
どんな人にも闘争本能はあります。
ただ、それをやたらと解放しないだけです。
獣に成り下がってしまいますから。
人間以下の存在になりますからね。
さて、以下はアニメで語られるだろう原作での顛末です。
世界共通の敵としてこの星の大半をふみにじったエレン。そのおかげで世界はまとまり、今後の平和が誓われる………………というあたりで素直に進撃は終わりません。
パラディ島は世界を恐れて武装化の一途を辿り、アルミンたちの平和への努力も虚しく彼らが死去した後で世界に睨まれることになり、大陸側から大量破壊兵器で襲撃されて結局は滅亡。森に覆われた世界であの原初生命と人がまた出会ってしまう……というところで物語は終わっています。
かくて歴史は繰り返す。
人類は自らの愚かさをなかなか克服できないようでした。
戦争の方がはるかに簡単。
平和は難しいということですね。
リアル世界で某北方の大国が世界を敵に回していますが、あれは愚かな行為であると、改めて私は断言したい。
巨人の力という大量破壊兵器で世界を蹂躙したエレンが誰よりも大切な人に討たれたように。
おそらく現実も愚かな顛末となるでしょう。
力の暴走を世界は許さないのです。