セーラームーンよ、永遠なれ

やっと、観てこられました...セーラームーンの最終話。地球どころか銀河全てをかけての最後の戦いを見届けてきました。以下、本作のネタバレを含めます。

セーラームーンはもちろん架空の話です。しかし、「戦いを終わらせるために戦う」ことの矛盾についてうさぎちゃんが悩みながら進んでいったことは、現実の現代にも通じる物を感じます。
それに、強すぎる力が生まれてしまったが故に、対抗する闇もまた育ってしまうということも。
8月の日本では平和を祈念することがたくさんあります。それは2度の原爆投下を経て太平洋戦争が終わった月だから、ということからきていますが。
自分の観覧スケジュールがいろんな事情で押してこの日になってしまった(本作は6月30日から公開)がゆえに、かえって幻の銀水晶が核兵器に似ているところがあることに気がついてしまいました。
今までこの点には気がつきませんでしたが、確かに最初の「ムーン・ティアラ・アクション」などと「ハネムーン・セラピー・キッス」はまったく桁違いのエネルギー。ジェダイト配下の妖魔程度だったらまだ良かったんですが、セーラームーンコスモスの敵兵はそれ自身がセーラー戦士だったりして、要するに初期とは桁違いに強いということ。強さのインフレとはよく言った物です。
戦争で使われてきた兵器の歴史も同じ。最初は徒手空拳、そして刀剣類、弓矢、火薬と銃、ミサイル....。馬から自動車、飛行機に、そして今や、現実の世界だけではなく、コンピューターネットワークの世界もまた戦場となっています。
どこかの国家が強くなれば、それに対抗する国家もまた強くなる。そして今や、地球を破壊できるかもしれないほどの力を人間は持ってしまっている。弓矢や騎馬が革命的な戦力だった時代には考えられないことです。
そこで。セーラームーン世界では一つの問いがありました。
実はセーラームーンたちが今まで戦ってきたさまざまな悪の勢力...ダークキングダムから始まる彼女らは、セーラー戦士たちの兄弟と言える存在だった。
生まれた場所は同じだったから。しかし、求めるものが違ったために闇になってしまったといいます。
セーラームーンは選択をせまられます。
これ以上の戦いを起こさないために、すべての闇と光を一緒くたに消滅させるか。
闇が生まれる可能性を重々承知の上で、光を存続させるか。
闇と光、どちらが勝ってもきっときっと未来は同じ。戦いは終わらない?

ここでの選択を後悔し続けてきた遠い未来のセーラームーンが、セーラーちびちびとして現代にやってきたということも、読んだ当時は驚いた点でした。そして劇場版での驚きは、セーラーコスモスの声を北川景子さんが演じたこと。
三石さんの2役では難しいことがあったのかもしれません。
ちょっとシン・エヴァでの成長したシンジ君を神木隆之介さんが演じたことを思い出しましたね。声や演技の良さだけではなく、夢想世界と現実をつなぐアイコンとしての存在感も、彼以外にはいない。緒方さんがそのまま大人の声でやってもそれはそれで形になったかもしれませんが、もっと違う形を求めたのでしょう。
北川景子さんも、有名な話ですが実写版セーラームーンで美しきセーラーマーズを演じておられました。そして、実写版セーラームーンの5戦士は今でも本当にときどき女子会をしていて、芸能界というリアルの戦場で励ましあって生き残っています。声質も合わせて考えてみても、何か納得できるものがありました。

さて、閑話休題
セーラーコスモスの後悔もわかりますが、光が存続しなければ、さまざまな可能性もまた生まれないのも事実です。
覚悟を決めたセーラームーンは、この時点でのカオス(究極の混沌)を消滅させる道を選びます。
いつか闇がまた生まれることになるとしても。光の可能性を捨てることはできないという選択でした。

強大なる力がかえって戦いを起こすとか、人間は戦争は結局終わらせることはできないとかは、ほかの作品でもテーマとされてきました。
大ヒット漫画という意味では「ドラゴンボール」「進撃の巨人」でも問われたことでもあります。あの「ドラゴンクエスト ダイの大冒険」でも、人間は強すぎる力を持つ勇者に一度は感謝しても、いずれ人間ではない存在は忌避されるだろうと大魔王バーンは語っていました。

セーラームーンでは覚悟と可能性を示してくれました。
それが故に、また、彼女たちは新しい日常を取り戻すことができたのです。
たしか最後の、進悟やママ、ルナとのシーンは原作にはなかったと思うのですが、あれがあって良かった!

締めはやっぱり衛との結婚式。少女漫画の王道で締めたのが連載当時は意外でもあり、また納得できることでもありました。
今回、結婚の曲もあり、これは映画館で聴けるうちに聴いた方が良いかもしれませんね。

そういえば。
セーラームーン、つまり、月、地球の衛星である天体が作中最強とされているのが少し疑問だったのですが。なぜ太陽系なら太陽ではなかったのかと。
本作をあらためて映画で見て、何か納得できました。
プリンセスは守られて強くなる。
月は周りの光があって輝くことができる。
みんなの力があってこそ、セーラームーン...うさぎちゃんは戦うことができる。
ダークキングダムのクイン・メタリアは、太陽黒点から生まれた闇の王だったという設定が確かあったと思います。
太陽の戦士がいない、すべて惑星の戦士なのにもその辺りの理由とか意図があるのかもしれません。

最後の最後にサプライズ。武内先生からファンへの贈り物がスクリーンに映し出された時、セーラームーンを好きで良かった、と、心から思いました。
どんなイラストだったかは映画館で...。今まで見たなかでも一番美しいセーラームーンだと思いました。
作品が大ヒットして連載をしなくなった漫画家さんは画力が落ちることもあるみたいですが、今でも絵が本当に美しいというのは、やっぱりすごいものです。

ともあれ。
子供の頃、原作漫画の最終巻を読んだときから、ずっとずっと引っかかっていたのです。
永遠の戦いの道を選んでしまったともいえるうさぎちゃんの選択。本当の本当にそれで良いの? と。

この度の映画化により、映像で...動きで、声で、ようやく腑に落ちたと思います。

それから、この結論は旧およびシンのエヴァとも通じる物を感じます。
シンジくんもうさぎちゃんも、苦しみも含めて何もかもなくなり燃え尽きてしまう道ではなく、つらいことがあっても生きて存在し続けられる道を選んだといえます。
日常こそ最強なのです。