表現者でありつづけることへのあこがれ。

赤の神紋 第十一章 (コバルト文庫)

赤の神紋 第十一章 (コバルト文庫)

赤の神紋」というこのシリーズをすっと読み続けています。演劇界を舞台にした愛憎劇、とひと言でいってしまうとそんな話ですが、簡単に片付けちゃいけませんね。
ネタバレにしたくないので、ストーリーに触れず、どうやって読んでいたかということだけをさっさと書いてしまいます。

  • 本日の午前。用事を済ませて駅前の書店にとあるマンガ雑誌を買いに行く。まだ開いたばかりのお店で偶然この最新刊を発見して購入する。
  • 帰り道、数ページめくる。突発的に「家では読みたくない」衝動が。家で寝っころがって読むにはあまりにも惜しすぎる内容と直感的に判断。ある程度リラックスしつつも緊張感を保てる環境を求めて移動。コーヒーをおかわりできる喫茶店へ。
  • アメリカンコーヒーとドーナッツを注文。夢中で読む。本を握りしめるようにして読む。読む。読む。衝撃的な展開。役を生きるとはどういうことなのか、磨き上げた日本刀に互いの魂を写すようにしてこの二人の人物は生きようとしている、そんな風なイメージがわいた。
  • 気がついたらコーヒーを5杯、ブラックでお代わりしていた。ぬるい紅茶より地獄のように熱いコーヒーが似合う話だと気がついた。(喫茶店のはそんなに熱くはなかったけれど)昼近くなって、混み合い始めたので、まだ読み終わっていなかったが外に出た。
  • 歩調がクラクラとしていたのを覚えている。近くに公園があることを思い出し、コンビニでホットのブラックコーヒーを購入。素手で持てないくらい熱かったが、この熱がそのまま作品の中の熱風にイメージとしてかぶった。缶コーヒーをハンカチで包んで持ち、公園へ。
  • 公園にはまるで舞台のような形の大きな屋根の付いた椅子があった。椅子というには大きくて、2メートル角くらいの正方形で、それが斜めに2個並んでいた。この場所こそ舞台。そう思った。コーヒーのプルトップを開け、続きを読みふける。正気を保ちながら読むにはあまりに濃い内容に、缶を握りつぶしてしまった。
  • 時折、まわりを見渡す。そうでないととてもじゃないが読めない。鳩が何羽かあるいていて、内一羽は足の指が一本欠けていて、治った傷跡があった。それでも歩いてえさを探していて。その鳩を観察していて、鳩という生き物を初めて知ったような感動を覚えた。多分小説と自分がオーバーラップしたんだと思う。鳩はいないがそんなシーンがあったから。でも、鳩がどんな風に歩くかなんて、ちゃんと知っている人はなかなかいないだろう。
  • ようやく読み終わった。次の刊行が本当に楽しみだ。


痛いほどの表現者でいられる作中の人物がうらやましいです。
演劇と音楽は、とても近いから。