ネルソンさんと岬美由紀

現在、「クラシックシリーズ9 千里眼 トランス・オブ・ウォー 完全版 上 (角川文庫)」と「クラシックシリーズ9 千里眼 トランス・オブ・ウォー 完全版 下 (角川文庫)」を続けて読み進めています。昨日までで下巻の冒頭部分まで入りました。ただ、同じ作品の旧作・小学館版で一度読んだことがあるので、タイトルとなっている作中の心理学理論「トランス・オブ・ウォー」については一応は知っています。
ということで「トランス・オブ・ウォー」理論について思うことを(ストーリーについては読破してからまた改めて書きたいと思います)。


「トランス・オブ・ウォー理論」とは、戦争などの戦いの場の興奮状態に身を置いた人間が、理性を鎮め(つまり、いわゆる「理性がなくなった」ような状態)戦うために戦うような……戦い以外の行動を選択することができなくなってしまった心理状態を説明した理論のことです。
こうなってしまうと、「やめろ!!」と言ってもそう簡単に戦いをやめることはできません。敵を全員皆殺しにしたら、味方すら襲ってしまうこともあるかもしれません。


……RPGファイナルファンタジー」シリーズでいう、「バーサク」の魔法がかかってしまったような感じでしょうか? ゲームをプレイしたことがある方はお分かりいただけると思いますが、「バーサク」にかかってしまうと、そのキャラクターにはプレイヤーから攻撃・防御などのコマンドを出すことはできなくなり、ただひたすらに武器を振り回しての攻撃を続けてしまうのです。そのかわり、攻撃力は通常よりもずっと高くなるようですが。理性的な迷いが無く、ただひたすらに戦い続けてしまう。だから、太刀筋もおそろしいほどの切れ味とスピードで相手に襲い掛かるのでしょう。


あの「ゲームのような状態」が現実にも存在しうる。


というか、すべての戦争は、戦士も上官も「トランス・オブ・ウォー」の状態に多かれ少なかれ陥るから起こり続けているのだという……。


本書の上巻にも、イラク人とはいえ理性的な状態では日本人の人質にそれなりの扱いをしていたのに、他の部族に襲われて戦闘状態になったとたん、人質を放置してただひたすらに戦い続けてしまう描写があります。そして、なんとか敵を撃退したら、もう無力でしかない生き残りに対して銃を撃ち込んで虐殺してしまいました。


このような状態は、スポーツのような理性的な戦いでは起こりえません。たとえば、アメリカンバスケットのプロリーグであるNBAで、優勝がかかった一戦で勝ったからって、敵チームを殴り殺すような事件は発生していないでしょう。しかし、アメリカ人がイラクで戦っている状態のとき、どれほどの戦闘や殺人が肯定されていることか。本ダイアリーの右下、「Iraq Body Count」のカウンターは現時点で「90,735 – 99,077」の数値を示しています。つまり、敵味方……イラクアメリカ側合わせてですが、イラク戦争では9万人から10万人もの尊い人命が奪われてしまったのです。


同じアメリカ人でも、バスケットボールでは理性的に戦えるのに、戦争では理性的に戦うことができない。それは、バスケットボールではいくら興奮しても人殺しをすることは望まないために「トランス・オブ・ウォー」には至らないのですが、戦争では殺さなければ殺されてしまうために「トランス・オブ・ウォー」になりやすいからです。
もしもバスケットボールの試合中に人殺しのような暴力が振るわれたら、直ちに審判が退場を申し渡すはずです。戦争においてはそのような、システム上の理性が整備されていません。ある意味、何でもありだともいえます。だから、異常心理を止められなくなり、戦うために戦って戦って、そしてやられてしまった側も復讐して復讐して……戦争の連鎖を断ち切ることができないのです。


この「千里眼 トランス・オブ・ウォー」とともに読んでおきたい作品があります。
週刊少年マガジン2週読み切り「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?」後編。 - Yunyの鉄は、熱いうちに鍛て。」で紹介しましたが、以下の2冊と、1本の講演録です。

「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?」「東京大空襲」 (KCデラックス)

「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?」「東京大空襲」 (KCデラックス)

「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?」 (シリーズ・子どもたちの未来のために)

「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?」 (シリーズ・子どもたちの未来のために)


実際にベトナム戦争でヒトを殺してしまった元・海兵隊員のアレン・ネルソン氏が、帰還後のPTSDを乗り越え、平和を訴える講演をおこなうようになるまでのドキュメントです。


彼の帰還後のPTSDの症状は、まさしく、戦争中は「トランス・オブ・ウォー」にとらわれていたのだとおもいます。戦うために戦っていた、そのように表現するしかない異常な心理状態だったようです。
しかし、そんな彼に理性を呼び覚ましてくれたのは、現地のベトナム人との出会いでした。1人は「あなた方黒人も、アメリカに帰れば差別される立場*1なのに、なぜ私たちを殺すのですか?」というベトナム人の捕虜からの問いかけ。そして、ネルソンさんが偶然に出会った、ベトナム人女性の防空壕での自力出産。


自分が戦うのは兵士だから? 命令されたから? でも生命は尊いしわざわざ遠くベトナムに出向いてまで殺さなくてはいけないのか? なぜ自分はベトナム人を撃って撃って撃ち殺していたのか?


彼が「トランス・オブ・ウォー」を本当に乗り越えるためには、ただ戦争の場から離脱するだけではダメでした。帰還後に、夜ごと夢遊病者のように歩き回り、妻をベトナム兵と錯覚して殴ろうとしてしまうネルソンさん。精神科でPTSDと診断され、薬漬けになっても治らず、最終的には心理学に基づくカウンセリング(セラピー)に通って18年かけて克服した。そのセラピーで回復に至ったのは、自分の中の戦闘理由……すなわち、暴力性を正直に認めたからです。


人間には誰しも、この日記を執筆している私自身にも、暴力的な部分があると思います。多くの場合は理性が働いていて、そうそうヒトを殺すような暴れ方をしませんが、たとえば戦争のような状態に至ったときは暴力性を自ら呼び覚ましてしまう。
それから、最近、平和なはずの日本国内の平凡な家族の中でも、気持ちが通じ合わないことをきっかけにした家族内殺人事件、地域内殺人事件が頻発しています。これも、ある意味では「トランス・オブ・ウォー」のような……殺人肯定状態が起こっているといえると思います。しかしこのような悲しい状態は、理性あるコミュニケーションを取る事で避けることもできるのではないでしょうか?


国が率先して国民に理性を鎮めさせるような事態を招こうとしているような国家が、まだまだたくさんあります。そして、日本にも最近はその傾向が見られなくは無く、危機感がありますが、そういうときだからこそ、自分の理性を信じて戦いを避けなければならない。
戦争に至るそのスイッチを押してしまったら、もう、今度こそ後戻りはできない。戦争をしないための理性の戦いに負けてはならないと、強く思うのです。

*1:ベトナム戦争時代は公民権運動の時期と重なります。