ヒトは死なないということ

今朝の話。ある友人が急死する夢を見て目が覚めた。
葬式に出る前の葛藤を延々としている所で目が覚めた。
現実に還ってほっとするほどのリアルな夢だった。
その友人は現実には健在なようだった。まあ、彼女はそうそう死なないだろうな。


ヒトはあっという間に死んでしまうとも、そうそう死なないとも、いろんな言われ方をする。


たまに、若死にしたある友人のことを考える。ゲームが好きな人だったから、今のDSやPSPwiiなんかを見たら狂喜乱舞してサイトを作っていたんじゃないだろうか。そういうモノや、そもそもWeb 2.0時代が到来する前に亡くなられたので、想像するしかないけれど、でも、想像の中では生きている。きっとああしたんじゃないか、こうしたんじゃないか。


インターネットが一般化する遥かに前に亡くなられたある天才クリエイターのことも考えてみたりする。
何のことはない、手塚治虫先生のことなんだが。
漫画家だけでもなく、アニメーション監督というだけでもくくれないあの方が、インターネットに接していたら、とんでもないことになっていたんじゃないか、いろいろと想像してしまう。


と、いろいろ考えていて気が付いた。
肉体の死と、存在感の死は、まったく別物であると。


彼なら、彼女なら、健在であればきっと****しただろうな。
そういう想像をするヒトが絶えない、一人でも生きている限り、そのヒトはおそらく死なない。
生命体としての死はあっても、人間の想像力はそれを超えうると思う。