新型インフルエンザの広がりと口伝教育について

新型インフルエンザの流行状況の報道を見聞きしていると、人間は、自分が病気にかかるわけない、って、思いがちなんだなあと自戒させられます。で、病気が流行したらしたで、誰かのせいにしてしまったりもする。なってしまったら仕方がないので、きちんと治すしかないし。そもそもかからないようにするのが一番。


先日、まいにちきちんと歯を磨いているつもりが、いつの間にか虫歯ができていて。歯間クリーニングをおろそかにしていたらそこをやられました。現在、治療中です。幸い、たいしたことはないみたいで、3回の治療ですみそうですが(早く気が付いてよかった)。あれ以来歯間クリーニングもできるだけやるようにしています。


なにかをおろそかにすることは、思いもかけない失敗というリスクを負うことになるわけです。


これ、新型インフルエンザのそもそもの発生源(どこなのかはっきりしていませんが)がいつか見つかって、発生のメカニズムを分析したら得られる教訓じゃないか、という気がします。
どこかの地域で、ちょっとした何かをおろそかにしたら、全世界に影響を及ぼした。
そういうメカニズムで発生&流行してしまったのではないかという予感がするんです。


今、いろいろなことがマニュアル化されています。マニュアルどおりにやればモノ・サービスを作り出せる時代になってきている、と、みんな思っています。でも、マニュアルに盲目になると、原理を忘れがちです。
マニュアルを学ぶときは、どうしてその作業が必要なのか、一歩引いて考える眼を持たないと、おろそかにしがちなちょっとした何かを見過ごしたまま、ひとつの物事を習得してしまうんじゃないか、そういう気がしてならないんです。そういったことが、時には重大な過失を導いてしまってはいないか、と。


伝統工芸の世界では、技術は口伝であることが多いようです。文書化しないで、口で伝える。そうすると、やり方を脳に叩き込んで覚えるしかありません。多少の覚書をしたとしても、手順全部をメモすることは難しいですから、見よう見まねで感覚をつかむとか。メモする段階で、一度頭を使うので、どっちにしろ考えるわけです。初期の段階ではある「型」を押し付けられることもありますが、やっているうちにそういう風にする方がうまくいく、と、学んでいく。
そうやって考えることで、どうしてこのような塩梅でやるとうまくいくのか、クオリアのような感じでなんとな〜く分かってくる。マニュアル主義の教育方法ではこのようなレベルに持っていくことは難しいと思われます。


学生サポーターとして『パーソナル・コンピュータ』を指導しながら、伝統工芸のような形で教える方法を模索していたりもします。
仕事上、必要なマニュアルは作りますが、それと同時にコツを口伝することはできないか、考え続けているのでした。


ともかくも、インフルエンザで学校閉鎖にせざるを得なかった各教育機関関係者の皆様には同情を禁じえません。一日も早く事態が収拾され、普段の学園生活が戻ってきますように……。